| 観世音菩薩 |
一、前書き 今日は観世音菩薩の生誕日です。そこで、偉大な観世音菩薩について紹介します。私は幼い頃から今まで常にこの大菩薩の恩光を受け、無限の親しみと賛仰を感じています。 私は生まれつき体が弱かったのですが、母親の観音信仰のおかげで不死を得ました。兄姉は理教に帰依し、私も理教の法会に参加しました。理教は正宗の仏教ではありませんが、理教の信仰の中心は「聖宗古仏(観世音菩薩)」です。私が少年時代に出家した江蘇南通狼山に奉られる大聖菩薩は、唐高宗時代に西域から来た高僧「僧伽」で、《宋高僧伝》の記録によると、彼は観音菩薩の化身で、十一面観音像を現したといいます。仏経によると、仏世の周利槃陀伽は三ヶ月かけても一首の偈も暗誦できず、「掃帚」の二つの漢字を教えても、「掃」の字を覚えると、「帚」の字を忘れ、「帚」の字を覚えると、「掃」の字を忘れたといいます。しかし、最終的には、仏陀の平等な教育により、阿羅漢果を証得しました。私は少年時代とても頭が悪く、 6 歳になるまで話ができず、 9 歳から読み書きを始め、 13 歳に出家した際は、わずか小学 4 年生のレベルでした。出家後、師父に聞いた最初の話は、観世音菩薩に智慧を求め智慧を得る事例でした。宋朝の永明延寿禅師は、法華懺法を修行して二十一日目、観世音菩薩の甘露水により無碍弁才を得る夢を見ました。彼は仏教史上の不朽の名作である《宗鏡録》百巻及び《万善同帰集》を執筆し、彼の地位の高さはここからもわかります。 私は師父に、毎日朝晩少なくとも 200 回観世音菩薩に礼拝するよう言われ、これを半年余り続け、礼拝しながら観想しました。観音大士は手に甘露水を持ち、それを私の頭にかけると、私は厚い《禅門日誦》を数ヶ月で暗記し、それが意外で驚きました。その後私は上海の狼山の下院大聖寺に行き、毎日経懺を行いました。折りよく静安寺が仏学院を設立し、善導寺の監院妙然法師及び知客守成法師も、当時院務と管理の責任者を務めました。私は師長上人に、教育を受けたいと言うと、上人は私のレベルは低すぎると言いながら、行かせてくれました。最初は試験に合格せず、次に試験に合格しましたが、授業の内容が聞き取れず、私は失望のあまり、毎日夜中に起きて観世音菩薩に礼拝しました。半年が過ぎ、ついに勉強の目的が達成され、静安寺学院の編入生になれました。これもまた意外な喜びとなりました。 1949 年の春、動乱の局面下で、私は軍隊に入隊し台湾に来ました。当時の身体状況は優れませんでしたが、心中には常に観世音菩薩があり、行軍及び朝のジョギングの時間を利用して観世音菩薩を黙念し、常に観世音菩薩の慈悲の光に守られていました。 10 年後に軍隊を退役し、東初老人の元で再度出家した後、私の願いは菩薩に求め静修できる道場を賜ることで、そこで毎日大悲懺に礼し、観音大士の聖号を念じました。友人の中には、私のこの願いは叶わない運命にあると思う人もいました。台湾には、徳行の高い老僧がおり、理想の要求は容易でなく、私のように出家したばかりの人はなおさらでした。私にとって当時の台湾の仏教界は、「人地生疏(人とも土地ともなじみが薄い)」という言葉で形容でき、物資食糧の援助を要求する手がかりも、静かに修行できる場所を尋ねる手がかりもありませんでした。浩霖法師と悟一法師のご協力で、高雄山区美濃鎮の二人の尼師を知り、朝元寺で六年余り修行しました。 以上の経歴により、私は観世音菩薩の有求必応(求めれば必ず応じる)を、深く信じて疑わず、恩に感じてやみません。
二、観世音菩薩の出典 現在、蔵経中の観世音菩薩に関する多くの資料を調べています。各大乗経中に、諸大菩薩の話は極めて多く、仏が住する霊鷲山の法華会には、八万余りの大菩薩がおり、その中で重要な大菩薩は十八名おり、観世音菩薩は十八位菩薩の一つです。インド・西域・ベトナム・日本・韓国において、特に観世音菩薩の信仰を重んじます。これは、各地古代仏教絵画及び彫刻で、観音聖像の占める割合が高く、これで証明できます。特にチベット密教の中心は観音信仰であり、観音なくしてチベット仏教はありません。江蘇・浙江・福建・広東・広西・台湾等の民間及び南洋の華僑は、仏教の教主の釈迦牟尼を知らずとも、観世音菩薩を信じぬ者はいません。そこで、「家家弥陀仏、戸戸観世音(それぞれの家に阿弥陀仏と観世音菩薩がいる)」という言葉があります。この世の衆生にとっては、観音菩薩の仏教中における地位と観念は、わずかに釈迦世尊と阿弥陀仏に次ぎます。この大士と娑婆世界の衆生は特に縁があり、尋声救苦(助けの声を聞き苦しみから救う)、有求必応(求めれば必ず応じる)です。しかし、この大士の出典に注意する人はほとんどいません。 信仰自身は、必ずしもその道理を理解する必要はなく、ただ仏の開示に従えば、観音菩薩の有求必応(求めれば必ず応じる)、救苦救難(人を苦難から救い出す)がわかり、それを信仰し祈願すれば、霊験を得ることができます。しかし、信仰の繋がりと発揚は、事実の例と理論の基礎で支持しなければなりません。そこで、今日はこのテーマを選び、観世音菩薩の弟子達に紹介し、すでに信仰する人は更に敬虔に、まだ信仰しない人にはすぐに信仰するように導きます。 観世音菩薩は梵語では、「アヴァローキテーシュヴァラ( Avalokitesvara )」と称され、中国仏典の訳名はいくつかあります。竺法の護訳は「光世音」、鳩摩羅什の旧訳は「観世音」、玄奘の新訳は「観自在」で、中国で通用しているのは、鳩摩羅什の旧訳です。中国人は簡約を好み、一般略称は観音です。しかし、梵語の原義から、「観世自在」・「観世音自在」・「?音」・「現音声」・「聖観音」等に訳すことができます。 《法華経》第二十五品〈普門品〉の盛行が主な理由で、中国ではこの大菩薩を「観世音」と呼ぶことが多いです。中国の《法華経》は、鳩摩羅什による翻訳です。五胡乱華時代の北涼国主である沮渠蒙遜が大病に罹り、多くの医者の診察も百薬も効果がないとき、インドから来た曇無讖法師が、彼に〈普門品〉を誠読するようにすすめると、病気は治り、回復しました。沮渠蒙遜は、曇無讖法師の指示通りに行い、その病気を薬を使わずに癒しました。国主が国民に〈普門品〉を唱えるよう教令しただけでなく、多くの人も自ら〈普門品〉を唱え、そこで《法華経》は経典中の王で、〈普門品〉も中国と最も縁がある経です。 観世音菩薩の意味は、二つの解釈があります。 1. 《楞厳経》巻六に書かれるこの菩薩の最初の修行方法は、耳根は外に向いて聞くのではなく、内に向いて聞く特性があり、ここから「動静二相、了然不生(動静の二相了然として生ぜず)」ができます。一般人の耳のように外の音を区別するのではなく、賛嘆或いは誹謗などの外の状況を受けることで、貪瞋愛悪の煩悩が生まれ、殺盗淫妄の悪業を促進し、更に輪転生死の苦法を受けます。つまり、世間の音声の虚妄不実を観察分析し、影響を受けず、そのまま動かない大解脱の境界に入ります。 2. 《法華経・普門品》にはこう書かれます。 「若有無量百千万億衆生、受諸苦悩、聞是観世音菩薩、一心称名。 観世音菩薩、即時観其音声、皆得解脱。」つまり、「もし無量百千万億の衆生たちがさまざまな苦悩をうけたとき、この観世音菩薩の御名を聞いて一心にその音名をとなえたならば、観世音菩薩は即時にその音声を観じて、其の苦しみからすっかり解放してくださる。」の意味で、観世音と呼ばれます。《悲華経》にはこう書かれています。「宝蔵仏授記云、生大悲心、欲断衆生諸苦悩故、欲衆生住安楽故、今当字汝、為観世音。」つまり、《楞厳経》は観音法門の自修に従い、〈普門品〉及び《悲華経》は観音菩薩の他人を済度することに従います。 「観自在菩薩」は唐玄奘の新訳です。最も有名で通用しているのは、《心経》の最初の一句で、玄奘の翻訳です。しかし《心経》は、七種類の漢文訳本があり、玄奘は第二訳に属します。初訳は羅什が手掛け、そこで玄奘はインドに求法前、すでに《心経》を学び、観世音菩薩に絶対的な信仰心を持ちました。玄奘大師の記述によると、彼は少なくとも数回、観音霊感を祈求する経験があったといいます。 (一)玄奘が八百里の流砂河を通る時、無数の妖魔鬼火に出遭い彼の前後を妨げ、《心経》を念じると、これらの魔鬼はいなくなりました。 (二)玉門関を出発し、夜砂漠中に泊まった時、お供の胡人が突然、刀を玄奘三蔵に向け、ただちに観世音菩薩を唱え始めると、胡人は殺気を失い、眠ってしまいました。 (三)玄奘が八百里の流砂河(莫賀延磧)を四泊五日歩き、水不足の為に砂漠の中で行き倒れ、心の中で観世音菩薩を唱えました。「玄奘のこの旅は、財利を求めず、名誉を望まず、無上正法のためにし、菩薩に仰惟し、人々を慈念し、苦を救うことを務とし、これは苦であり、どうしてわからないのでしょう?」祈求後五日目の夜中、突然涼しい風が吹き、全身が心地よく、視界もはっきりしてきました。馬は立ち上がり、十里余り歩くと分かれ道があり、数里進むと、突然青い草と池が現れ、再び命を救われました。この水草は元からあったものではなく、観世音菩薩の慈悲が変化してできたものです。 なぜ、観世音は観自在とも呼ばれるのでしょう?梵語の「アヴァローキテーシュヴァラ」の原義は、「自在に観察する」或いは「君主」です。太虚大師はこう言いました。「観世音菩薩には般若の智慧があり、五蘊皆空を照見し、苦難を救うことができます。普通の人は五蘊を世界とし、我に執着しているため、五蘊皆空が理解できません。そこで、自・他・人・我があると分別します。五蘊皆空が理解できるなら、他人・私、正・誤の分別を消すことができます。真に無人無我をやり遂げることで、衆人の苦難を自分の苦難にします。このようにすることで無我の大慈大悲ができ、大公無私の偉大な人格ができ、苦難を救う効用を発揮します。(《太虚全書・雑蔵》 551 ページ)実は、観音菩薩の名前は、多くの大乗の経典に言及されています。顕教方面では、例えば《成具光明定意経》、《維摩経》、《放光般若経》、《光讚般若経》、《大宝積経》第八十二巻及び第百巻、《楞厳経》巻六、古訳《華厳経》巻五一、新訳《華厳経》巻六八、《悲華経》、《地蔵経》、《大阿弥陀経》巻上、《無量寿経》巻下、及び《観無量寿経》等で、密教方面においては、《金剛恐怖集会方広軌儀観自在菩薩三世最勝心明王経》、《陀羅尼集経》、《一切功徳荘厳王経》、《清浄観世音普賢陀羅尼経》、《菩提場所説一字頂論王経》、《大方広曼殊室利経》、《大日経疏》巻五、《千光眼観自在菩薩秘密法経》、《理趣経》、《最上根本大楽金剛不空三昧大教王経》、《阿俐多羅陀尼阿?力経》、《不空羂索神変真言経》等があります。 これより分かるのは、観世音菩薩は顕密両教で共に重視され、特に尊仰されている大菩薩です。しかし、中国において、《法華経》の〈普門品〉及び《心経》は、特に普遍的に弘揚と誦持がされています。〈普門品〉の内容は、観世音菩薩の化跡を現すことを重視し、これは凡夫衆生の現実生活と実際苦難の救済に対してです。《心経》は観世音菩薩の修行法門を説明し、人生宇宙の縁生空性の観照から究竟理体を証入し、大慈大悲の救世精神を発します。 仏教史伝の中に、観世音菩薩への信仰及び霊感に関する多くの記載がされています。例えば《法苑珠林》、《比丘尼伝》、《梁高僧伝》、《名僧転抄》、《唐高僧伝》、《出三蔵記集》、《弘明集》、《観音義疏》、《法華義疏》、《辯正論》、《弘贊法華伝》、《法華経伝記》、《三宝感通要略論》、《往生集》、《宋高僧伝》、《仏祖統紀》、《説郛》、《五朝小説》、《旧小説》、《太平御覧》、《金石続篇》等です。 また北魏時代の孫敬徳から始まり、経義により《高王観音経》を編出し、続いて《観世音菩薩救苦経》、《観世音十大願経》、《観世音三昧経》、《観世音詠託生経》が出現しました。《高王観音経》と《観世音菩薩救苦経》以外は、広く世に伝わっていません。これらの経典は中国人が編写したため、霊験がないと思わないでください。これに関して、八年前に《今日仏教》雑誌の第 41 号で私はこう話しました。「文字は偽造ですが、諸仏菩薩の聖号は仏経に出ており、霊験があり見る価値があります。」また、例えば私が最も重視する《大悲懺(千手千眼大悲心陀羅尼懺法)》は、宋朝の慈雲懺主遵式大師から出ており、伽梵達摩の訳した《大悲心陀羅尼経》によると、懺儀は祖師が編成したものは霊験がないと言うことは絶対にできず、事実上これは極めて霊験の懺法であり、有求必応の程度を真にやりとげることができます。 「観音」は普遍的に広く大衆に受けいれられており、中国の民間も観音菩薩をテーマにした小説を出版し、最も有名な作品は、《観音得道》別名《大香山》の伝奇小説です。多少でも仏学の知識がある人ならば、誰でもその内容は事実でなく、観点もあまり正確ではないとわかりますが、今までこの作品は何度と改編されドラマや映画になりました。去年( 1967 年)香港の邵氏という映画会社が、「観世音」という映画を製作しましたが、これは《観音得道》の改編です。この小説の内容は、妙荘王が三人の王女を生み、上の王女は文才を愛し結婚し、二番目の王女は武才を愛し結婚し、三番目の王女妙善は学仏修行を愛し、仁孝貞潔で、慈悲愛物で、人のために己を犠牲にし、後に大香山で悟りを開きました。この伝説の原作は、《汝州志》です。汝州は河南省の地名で、中華民国以後には臨汝県に改名され、ここに書かれる観音の父は楚荘王といい、小説中では妙荘王と改められています。しかし、この物語は《観音感通録》等の仏典には載っていないため、これが事実とは信じられません。この書は中国民間における影響力は非常に大きく、その大原則は、皆を仁孝慈悲に導き、決して仏教に背かないということです。 また、この世における観音霊感の事績が編集されています。会稽地方の謝敦と呉郡の陸澄の共作《観音験記》、陸皐の《続観音応験伝》、王?の《冥祥記》、宋朝臨川劉義慶の《宣験義記》、清朝の周克復の《観音経持験記》、弘贊の《観音慈林集》等があります。現代著作には、慈航法師の《怎様知道有観世音菩薩》(《慈航法師全集》第九冊に収録)、東初老法師の《救世大悲者》、煮雲法師の《普陀山伝奇異聞録》、他にも印老の文集《頑石点頭》に収録されている印順老法師の二編の開示記録もとても価値があります。その他、〈普門品〉に関する諸家講記と注釈があり、多くの観世音菩薩の霊感事績を収録しています。
三、観世音菩薩の道場 観世音菩薩は一体誰で、どこにいるのでしょう?これは多くの人が知りたいことで、初対面の人に名前と居住地を聞くことと同じです。 仏経の記載とその後の示現には多くの言い方があり、その重要なものを紹介します。《悲華経》によると、観世音菩薩は西方極楽世界の一生補処(来世は成仏する)の法身大士で、阿弥陀仏の仏位を受け継ぐ大菩薩です。彼は阿弥陀仏が因地の時、転輪聖王の時、千人の子のうちの第一太子で、不?という名前で、出家後の名前は観世音です。彼は阿弥陀仏の入滅後に成仏し、一切光明功徳山如来となり、その時、彼の国土は「一切珍宝成就世界(一切の珍宝を成就する世界)」と呼ばれました。 同時に《大阿弥陀経》、《無量寿経》、《観世音受記経》等においても、観世音菩薩は西方阿弥陀仏の脇侍で、常に極楽世界に住み、阿弥陀仏を師とし、阿弥陀仏の教化を助けます。また、《観無量寿経》でも言われるのは、観音菩薩の宝冠の中に阿弥陀がおり、もし衆生が極楽世界を求めるなら、臨終の際に阿弥陀及び観音等の諸聖衆がこの世に現れ、手に蓮台を持ち、衆生を導きます。ここから、観音菩薩の根本道場は、西方極楽世界にあるのがわかります。 しかし、《華厳経》の記載では、善財童子が五十三人の善知識を訪ね、二十八番目に観世音菩薩が登場します。インドの南方に補怛洛迦という山があり、そこに観自在という菩薩あり。「補怛洛迦」山は、海上の山で、そこには「華果樹林皆遍満し、泉流池沼悉く具足」し、山の「西面の巌谷の中」で「観自在菩薩、金剛宝石の上に結跏趺坐」して説法していました。この記載から見ると、観世音菩薩の道場は、この娑婆世界の南インドに位置します。 また、中国人一般の信念では、観世音は西方浄土でも南インドでもなく、浙江定海県の普陀山にいます。南海普陀山の名は、《華厳経》の補怛洛迦の影響により出現しました。《華厳経》は、晉朝仏?跋陀羅訳の六十巻・唐朝実叉難陀訳の八十巻・般若訳の四十巻本の三種があります。浙江定海の普陀山の本名は梅岑といい、古代中国と日本・高麗・新羅等の諸国の往来があり、海上交通において、この島は要所とされていました。五代の後梁末帝貞明二年(西元 916 年)は、今( 1968 年)から 1052 年前のことで、中国で法を学んだ慧鍔という日本人僧侶が、観音像を日本に持ち帰り供養したいと申し出ました。帰国途中、舟山群島にさしかかると白波を立てて海面に鉄の蓮が何百と湧き出し、船が通れなくなってしまいました。そこで聖像をこの小島に下ろし、ここに供養しました。観世音菩薩とこの島の緑により、参拝する人は日に日に増し、最終的に普陀山と改名し、現在は中国仏教の四大名山(他に、文殊菩薩の五台山、普賢菩薩の峨嵋山、地蔵菩薩の九華山)の一つとなっています。 チベットの仏教徒にとって、チベット民族は観音の化身であり、史上の名王及び高僧も、観世音菩薩の化身であり、現在のダライラマは、観音の権現であると信じられています。また、世界は一つの蓮花であり、チベットのラサは蓮花の中心で、観音の浄土であると信じられています。ダライラマの住む場所はポタラ宮と命名され、ポタラは、中国の普陀山の名声と同様、梵語のポタラカから来ています。チベットの民族は、仏教以外に文化はなく、同じく、チベットの人民は、観世音菩薩なくして、仏教の信仰は完成することができません。チベットの人民は、ラマ僧のような系統性の仏教教育は受けられませんが、観世音菩薩さえあれば、十分慰められます。仏教には〈六字大明王呪〉があります。中国内地にて「?嘛?叭メイ吽」が盛行し、それは、元朝時代にモンゴル人のラマ教崇信に従い、チベットから内地に伝わったもので、これはチベットの誰もが知る観世音菩薩の六字陀羅尼です。チベットの民間で、〈六字真言〉を唱える効果は計り知れず、節期や困難に遭うたびに絶えず唱えます。 観世音菩薩の道場は、インドにあるのでしょうか?中国の浙江省にあるのでしょうか?チベットのラサにあるのでしょうか?一致した結論に達することができません。実は、私達はこの問題に対して、問い詰める必要はありません。一つの例を挙げてみます。例えば、ある居士は、広東梅県の客家人で上海で育ちましたが、その後アメリカに留学し修士の学位を得、その後ドイツに留学し博士の学位を得、帰国後は北平の大学で教鞭を取り、抗戦の期間は重慶で仕事をし、その後台湾に移りました。彼は語学の天才で、客家語、広東語、上海語、北平語、四川語、台湾語、英語、ドイツ語、フランス語、スペイン語が話せます。同時に、彼の宗教は、無宗教から始まり、アメリカではキリスト教を、ドイツではカトリックを、台湾に来てからは仏教を信仰しています。 皆さんに伺います。この居士の居住地はどこですか?何語を話しますか?何教を信仰していますか?もちろん、彼の原籍は広東で、仏教徒です。しかし、これが彼の全てでしょうか?彼の一生は事実、多くの異なる居住地があり、各種環境中で多くの人々に接触しました。 観世音菩薩の化現は、時機と縁により、多くの場所に出現しています。彼の聖号は観自在といい、衆生の需要を観察し、自在に各所に現れます。 《大悲心陀羅尼教》等の記載によると、観音菩薩は元々「正法明如来」という既に悟りを開いた存在であり、娑婆世界の衆生の一切を救済するために自発的に菩薩として現れたといいます。西方極楽世界の観世音菩薩も方便の権現であり、彼の道場ではありません。それでは他の場所はどうでしょう?仏陀は全法界<横遍十方・竪窮三際(たて三際をきわめ横、十方にわたる)>を理体として、観音菩薩は菩薩の身で現れます。しかし、密教の経典では、観音菩薩と阿弥陀仏を合わせて一つとし、観音は阿弥陀の因相で、阿弥陀は観音の果徳であるとします。そこで阿弥陀浄土法門を修持する人は、観音菩薩の聖号と阿弥陀聖号の功徳を念じることで、相互補完できます。彼の道場はどこにあるのでしょうか?本当に問い詰める必要はなく、観音法門を修し、観音聖号を念じさえすれば、観音菩薩は貴方の目の前に現れます。そこで太虚大師はこう言いました。「清浄為心皆補怛(普陀)、慈悲済物即観音。」
四、観世音菩薩の示現 仏門課誦の中の〈観音讃〉にこう書かれています。 「三十二応遍塵刹、百千万劫化閻浮。」「千処祈求千処現、苦海常作度人舟。 」 《阿弥陀経》によると、阿弥陀仏の成仏以来、すでに十却が経ちました。十却の時間は、娑婆世界の凡夫衆生にとって非常に長いですが、仏菩薩にとってほんのわずかな時間です。観世音菩薩は、阿弥陀仏の滅度の後、仏位を継承しました。阿弥陀仏の寿命は計り知れないもので、無量寿仏とも訳されます。阿弥陀仏の涅槃入滅後、確かに数え切れない時間の距離があり、観世音菩薩の悲願と地蔵王菩薩の悲願に相当します。地蔵はこう誓願します。「地獄未空、誓不成仏。衆生度尽、方証菩薩。」観音は世を救い、無量寿仏の後に成仏する道を選択し、一般の凡夫衆生のように、上にあがるのは早ければ早いほどいいと願うのとは異なります。歴史上、王子が王を殺害し、自分が国王の座につくこともありました。そこで、前述の「百千万劫化閻浮」の百千万劫は、無量数劫の表現方法で、閻浮は私達の世界です。 観世音菩薩は如何なる態度と方法で衆生を広く済度したのでしょうか?では、「三十二応遍塵刹」について話します。三十二種応身は、《楞厳経》巻六に典出し、観音菩薩が各種異なる根性及び類別の衆生に適応するため、三十二種の異なる身分で現れます。仏身、独覚身、縁覚身、声聞身、梵王身、帝釈身、自在天身、大自在天身、天大将軍身、四天王身、四天王国太子身、人王身、長者身、居士身、宰官身、婆羅門身、比丘身、比丘尼身、優婆塞身、優婆夷身、女性身及び国夫人命婦大家身、童男身、童女身、天身、龍身、薬叉身、乾闥婆身、阿修羅身、緊那羅身、摩呼羅伽身、人身、非人(有形無形、有想無想等の変化身)。 しかし《法華経・普門品》では、観世音菩薩の三十三身を挙げ、名目は《楞厳経》の三十二身と大体同じです。仏身、辟支仏身(独覚と縁覚)、声聞身、梵王身、帝釈身、自在天身、大自在天身、天大将軍身、毘沙門身(四大天王の一つで、インドでは財神とみなされる)、小王身、長者身、居士身、宰官身、婆羅門身、比丘身、比丘尼身、優婆塞身、優婆夷身、長者婦女身、居士婦女身、宰官婦女身、婆羅門女、童男、童女、天龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩護羅伽、人及び非人等身、執金剛神身。 近世発見によると、梵語の《法華経》には、十六身のみがあります。 仏身、菩薩身、縁覚身、声聞身、梵天身、帝釈身、乾闥婆身、夜叉身、自在天身、大自在天身、転輪王身、鬼神身、毘沙門身、将軍身、婆羅門身、執金剛神身。 これらの応化身の多少の違いは、伝誦と翻訳者の詳簡増損に過ぎず、観世音菩薩の慈悲化現には影響ありません。各経での列挙は大略に過ぎず、実際の衆生は一人一人異なり、時代・環境・品類の違いに合わせ、千差万別の身相で衆生を迎合・教化・救済します。上述の三十二身・三十三身・十六身は、仏陀当時のインドの社会に適応させて説いたもので、仏陀が現在の中国で《法華経》を説くなら、きっと更なる増減があるはずです。事実上の観音菩薩は、随類応化で、無類不現で、その人を救うために化身を現します。いわゆる法界は、衆生身心の分類で、衆生が住む時間と空間の界限です。観音は遍く存在し、一切平等に救済する大菩薩です。もちろん限りある身分で、機に応じて現れた身相を数えることはできません。前述の「千処祈求千処応、苦海常作度人舟」ですが、いわゆる千処は、象徴性の一つの形容詞に過ぎず、一千の場所に限って彼を求めるのではなく、彼は求められたらどこにでも現れます。苦海も海中であるとは限らず、果てがない海のような衆生の生死の苦を象徴します。仏経の文字は往々にして文字以外の意義があるため、計算機で分析できません。 多くの仏教非信徒は、往々にして観世音菩薩の性別を討議し、至ってはラジオ番組や刊行物の中にもこの問題について討議されます。 私は十歳頃、両親にこの質問をしました。父は、観音大士は男性の大きな足があり裸足なので、絶対に男菩薩だと言いました。母は、観音大士は男菩薩ではないと言いました。なぜなら、至るところを駆け巡り、人々の苦難を救うためです。私の母のように足を纏足(てんそく)にしていたら、外出する時は自分の事で精一杯で、人を助けることができるのでしょうか?しかし、母の最大の理由は、多くの人は、観音母として観音菩薩と呼び、観音はよく婦女を助け、子女のいない女性には、聡明智慧の子女を届けます。結果はもちろん私の母の勝利です。 実際には、《楞厳経》及び〈普門品〉等に現れる観音は、衆生を済度するため、各種形態の婦女身と男性身に変わります。観音菩薩自身は、相好円満の男性で、八十巻ある《華厳経》の巻六八によると、インドの南方海上、補怛洛迦山の観音は、「勇猛丈夫観自在」と呼ばれ、研究によると、中国の観音聖像は、唐朝以前には男相で、唐朝以後に女相の観音像が現れました。 観音を女相にしたのは、婦女身で現れ人を済度する縁故があったためで、《観音感応伝》にはこう書かれています。唐憲宗元和十二年(西暦 817 年)、陝右地方の人はまだ三宝の存在を知らず、ある日砂浜に魚売りの絶世の美女が現れ、多くの男性は彼女の美貌に魅了され、しきりに求婚すると、魚売りの美女はこう言いました。「どうやってこんなに多くの人と結婚することができるのでしょう?一晩で〈普門品〉を暗記できるなら、私はその人と結婚します。」翌日、暗唱できた人は意外にも二十人おり、女性はこう言いました。「それでも二十人と結婚することはできません。一晩で《金剛経》が暗記できるなら、その人と結婚します。」結果、まだ十人が暗唱できました。女性は、更に一晩で《法華経》を暗記するよう要求し、ついに一人の馬という男性がやり遂げました。しかし、全く思いもよらないことに、新婚の日、女性が新郎の家に着いた時、急病にかかり死亡し、体の腐敗のためすぐに納棺して埋葬するほかありませんでした。この青年の悲痛は、極限に達したと言えます。数日後、一人の僧侶が棺桶を開けるよう勧めると、棺桶の中には死体がなく、僧侶はこう言いました。「彼女は魚売りではなく、実際は観世音菩薩が現れたのです!」話が終わると、この僧侶もいなくなりました。 観音像の中に、女相の「魚籃観音」があり、《法華経顕応録》では、「馬郎観音」とも呼ばれます。多くの観音霊感の記載で、女相を示すものは極めて多いです。観音はなぜよく婦女相を現すのでしょう?第一に、女性の苦難は、昔からずっと男性よりも多いです。第二に、女性の特性は、情が深くて優しく柔らかく忍耐力があります。例えば、偉大な母性愛は、父性にはあまり見られません。そこで、観世音菩薩の婦女身の応現は、女性の受苦の多さを菩薩の忍耐と表現し、女性の母性愛を菩薩の慈悲と表現します。特に、女性の身で婦女群集に深く入り込み、苦難の多い婦女を広く済度します。同時に、経中にこうあります。「先以欲勾牽、後令入仏智」婦女の身は女性と児童を済度できます。美しい婦女の身を現すことで、男性を広く済度できます。例えば、先ほど話した魚籃菩薩もその例です。老婦人身を現すことで広く多くの大衆に近づくことができます。
五、観世音菩薩の形像 人世に応現する菩薩は、人類と同じ形である必要があり、さもなければ人類に接近することはできず、もしくは人類が例え彼を敬慕したり畏敬したとしても、近づく勇気はありません。そこで、観音が応現し人を済度するときは、人々に意識されにくく、ようやく事後に気付かれる程度です。 あるキリスト教徒がある仏寺に来て、法師に聞きました。「仏教は慈悲を講じ、なぜ千手千眼の観音像があるのでしょう?手には古代の各種兵器を握り、臆病な人は驚くのではありませんか?本当にこのような菩薩があるなら、新しい装備に換えようと思うでしょう。大砲、戦車、ロケット、原子爆弾、古代兵器の威力よりも更に強力ではありませんか。」ご在席の皆様に伺います。皆様の大半は仏教を信仰していると思いますが、仏教の立場に立ってどう答えますか? その尋ねられた法師は、言葉が詰まったりせず、とても平然とそのキリスト教徒に答えました。「仏教は、多くの場所において象徴的な手法を採用します。仏教が崇める聖像は仏菩薩の象徴で、聖像は菩薩自身だとは思いません。千手千眼の観音像も一種の象徴的な手法であり、千手は観音菩薩の大悲願力を象徴し、例え全宇宙の衆生がある時間同時に観音に祈祷したとしても、彼も同時に各種の異なる方式で、全宇宙の衆生を救済します。彼には千手があり、その救済の力を言葉でその力の一万分の一も説明できません。千眼は観音菩薩の無限の智慧を象徴し、同時に全宇宙の衆生を知ることができ、彼に対して発される各種異なる祈願も、同時に各種異なる救済方法を決定します。彼の実際の観察能力で言うなら、彼には千眼があり、その智慧の程度を一万分の一も説明できません。そこで、観音像の千手千眼は、菩薩の大悲と大智の外面に現れた特徴であり、手中の各種兵器が時代遅れかどうかは、問題にするに値しません。」 千手千眼の由来は、《大悲心陀羅尼経》によると、過去仏、千光王静住如来が世に現れ、観音菩薩に〈大悲呪〉を受持するよう言い、観音菩薩は「未来に全ての人々を救い安楽にすることが出来たなら、この身に千の手と千の眼を下さい」と願を発するやいなやすぐに千手と千眼が備わったといいます。実は、これも一種の大願力・大智慧の象徴で、もちろん、菩薩の神通力で、千手千眼が現れるのは、全く困難なことではありません。そこで、需要によって、異なる身相で現れます。例えば、中国の梁武帝の時代の宝誌大士は、当時の名画家、張僧?の前で、十二面観音として現れ、観音が様々な表情を現すので、絵師が描こうとしても描ききれなかったといいます(《梁高僧伝》参照)。 他に、《楞厳経》巻六の中に、四腕、六腕、八腕、十腕、十二腕、十四腕、四十腕、百八腕、千腕、一万腕、八万四千腕;二目、三目、四目、九目、百八目、千目、一万目、八万四千の清浄宝目があります。 観音の応現及び形像の相違により、多くの仏典中に多くの異なる数量分類があります。 《摩訶止観》巻二上には、六種の観音(大悲観世音、大慈観世音、天人丈夫観世音、大梵深遠観世音、師子無畏観世音、大光普照観世音)が出ています。 また、《諸尊真言義抄》には十五種の観音が、《千光眼観自在菩薩秘密法経》には二十五種の観音が、《仏像図彙》には三十三種の観音像が挙げられています。 この各種分類数量は、各時代の編集者によって異なります。例えば、魚籃観音像は、霊感事績発生前の唐朝以前には出てきません。 ここで観世音菩薩の話は終わりとし、最後に皆様に忠告申し上げます。皆さんは今回の観世音菩薩の講演を聞き、観世音菩薩の偉大な精神及び自他を済度する偉大な法門を理解し、自己の信仰行為と願力で観世音菩薩を学ぶなら、更に容易に観世音菩薩の願力と相応し、感応を得ることができるでしょう。急に苦難に出遭い観音菩薩に助けを求めても、もちろん貴方を助けてくれます。しかし、普段観音の聖号を念じないなら、苦難に遭っても観音の聖号を思いつくことができず、そこで、観音菩薩は有求必応(求めれば必ず応じる)であり、貴方が求めなければ菩薩は応じません。感応は、敬虔な信仰から生まれるためです。 私達が観音の聖号を念じる時、功利の観念を持たないことが最も大切です。菩薩は功利の願いは許さず、他人に損をさせて自分の利益をはかることは助けず、貴方は三宝を供養し清浄な求福の心を持つべきです。貴方が常に念じる観音の聖号は、観音はもちろんおり、いつも貴方を守ってくれますが、貴方はいつも菩薩に物質生活の助けを求めるとは限らず、更に一歩進んで人格の内心に向かって努力をすべきです。そこで〈普門品〉の中にはこう書かれます。「もし人々の中に婬欲の強い者がいても常に觀世音菩薩を念じて恭敬すれば便ち婬欲を離れることができるだろう。もし怨みや怒りの心が多い者がいても、常に觀世音菩薩を念じて恭敬すれば便ち瞋を離れることができる。もし愚癡が多い者は、常に觀世音菩薩を念じて恭敬すれば、便ち愚癡を離れることができる。」 最後に、大慈大悲の観世音菩薩が皆様を守り、心身健康、福と智慧が増し、成仏道が遂げられるよう祈願します。本日はお越しいただき誠にありがとうございます。 ( 1968 年 3 月 17 日、善導寺第 22 回仏教文化講座、《仏教文化》季刊 9 号に掲載、 1968 年 5 月 1 日、本文は《仏教入門》に収録)
六、観世音菩薩の法門 観音法門は非常に多く、大きく分けると顕と密の二門があります。密法は観想を多く用い、身口意の三業の修行が必須で、修学者は師から伝承、師弟に自ら伝授しなければならず、修行時は供養や作観等の儀軌壇場が必須で、また短時間ではやり遂げることができません。顕法は形式にこだわらず、時間を限定せず、師を選ばず、根気よく続けさえすれば、必ず効果があります。そこで、誰でも修行可能な観音顕法を下に紹介します。十法の大衆が、これを選び修行し、観音の加護を祈り、至るところに仏土が出現することを願います。 (一)《楞厳経》の耳根円通法門 耳根円通法門は、修定発慧の方法で、《楞厳経》巻六に出ています。 「於時有仏出現於世、名観世音。 (時にある仏が世に出現し、名は観世音という。)我於彼仏、発菩提心、彼仏教我、従聞・思・修入三摩地。 初於聞中、入流亡所;所入既寂、動静二相、了然不生。如是漸増、聞所聞尽;尽聞不住、覚所覚空;空覚極円、空所空滅;生滅既滅、寂滅現前。忽然超越、世出世間、十方円明、獲二殊勝:一者、上合十方諸仏、本妙覚心、与仏如来同一慈力。二者、下合十方一切六道衆生、与諸衆生同一悲仰。 」 この法門の修法と層級段落は、非常に明らかですが、修行を開始したばかりの頃、皆が必ずしも要領を得ているとは限りません。そこで、入門向け修法「聞声音法」をお教えします。これには四つのステップがあります。 1. 一切の音を集中して聞き、対象を選ばず、対象を区別せず、小から大まで、近から遠まで、耳根で聞くのではなく、音が自ら来るようにします。 2. 自ら音を聞きそれを知り、この時、音と自分の反応のみがあり、いかなる雑念もありません。 3. 音のみがあり自己を忘れ、自己は無分別無界限の音に溶け込みます。 4. 音と自己が双亡双照で、双亡は内外自他が無く、双照はありありとはっきりしていて、そこで世間の四禅八定のただ独頭意識の存在している境界と、小乗の滅受想定と異なります。この四段階を通じて、更に《楞厳経》の耳根円通法門を照らし合わせ、引き続き真剣に修行をします。 (二)《心経》の照見五蘊皆空法門 《心経》の始めにこう書かれています。「観自在菩薩、行深般若波羅密多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄(観自在菩薩、深般若波羅密多を行ずるの時、五蘊は皆な空なりと照見し、一切の苦厄を度す)。」これは、観音法門中の大乗小乗共通の基礎で、大乗の極則です。分析の方法で衆生と環境を観察し、色法の物質世界と心法の精神世界を含みます。物質の色法とは、衆生の身体及び身体の生存生活の環境で、精神の心法とは、心理の活動及びその動因・動力・動的の結果です。この結果はまた他の循環の動因となり、仏学の固有名詞では、心念・識と称されます。全ての因が全ての果を生じ、この間の動の作用を造業と称し、造業の結果は、業力の感受果報と称されます。五蘊の世界は、真も常も無く、貪瞋等の執着も起こらず、執着がなければ貪瞋等の煩悩所苦を受けず、循環する生死業も作らず、生死を処し、一切の苦を離れます。小乗は空を知り有に執着せず、そこで出世(世俗世界を出る)です。菩薩は空を悟り、空さえもなく、そこで入世(世俗世界に入る)です。凡夫は五蘊皆空を証さないため、恋世・迷惑・当惑・どこから来てどこに行くかわかりません。また、万事に執着し、至るところに煩悩があります。 (三)《法華経・普門品》の持名法門 〈普門品〉はこう言います。 「仏告無尽意菩薩:善男子、若有無量百千万億衆生、受諸苦悩、聞是観世音菩薩、一心称名、観世音菩薩、即時観其音声、皆得解脱。 (釈尊が無尽意菩薩にお答えになった:善男子よ、もし無量百千万億の生きとし生ける者たちがさまざまな苦悩をうけたとき、この観世音菩薩の御名を聞いて一心にその音名をとなえたならば、観世音菩薩は即時にその音声を観じて、其の苦しみからすっかり解放してくださるのである。)」 観世音菩薩の名号を念じれば、火に入っても焼けず、水に入っても溺れず、悪鬼(人を悩ます亡霊)を遠のけ、怨賊は消え、一切の障を除き、一切の難を免じ、一切の願を満たし、一切の福徳を成就し、必要な場所に現れ、苦難を救いますが、求めなければ応じません。 これは最も親しみやすく、誰でもいつでもどこでも修行でき、効果が最も顕著な法門です。根気よく続け、信仰を深くし、事の有無に関わらず念じられる法門です。 (四)《大悲心陀羅尼経》の〈大悲呪〉修持法 この経は密教の部類に属しますが、素朴な密法で、無上の師が伝承しますが、誰でも修持できます。 経典にはこう書かれます。 「観世音菩薩重白仏言:世尊!我念過去無量億却、有仏出世、名曰千光王静住如来、彼仏世尊、憐念我故、及為一切諸衆生故、説此〈広大円満無礎大悲心陀羅尼〉、以金色手、摩我頂上、作如是言:『善男子!汝当持此心呪、普為未来悪世一切衆生、作大利楽。 (善男子、汝まさにこの神呪を拝して、普く未来悪世の一切衆生のために、大利楽をなすべし)』我於是時、始住初地、一聞此呪故、超第八地。」 この呪文は、観世音菩薩が、無量劫前の千光王の時に静住仏の所で初めて聞き、この呪文を聞くと、すぐ第八地を越えます。その上、未来の悪世の修行のために、この呪文を悪世に伝え、大きな利楽を与えるよう命じました。その後、観世音菩薩はまた無量の仏前で、無量の法会で、再びこの呪文を聞きました。この呪文を唱えることで、生じる場所は、常に仏の前での蓮花化生(蓮花から生まれる)となります。その経はこう揚言します。:もし深く信じて疑わず、この呪文を唱えるなら、無量の利楽が得られます。例えば、臨終に当たって、十方諸仏が手を差し伸べ;三悪道に堕ちず;諸仏国に生まれ;無量三昧の弁才を得;現在生中に、全ての願いが叶い;女性から男性になり;寺院の全ての物を損害する重罪を滅し;十悪五逆・謗法謗人・破齋破戒・破塔壊寺・偸僧祇物・汚浄梵行等の罪を取り去り;十五種善生を得、十五種悪死を取り除きます。 またこの呪文の容貌は、大慈悲心・平等心・無為心・無染著心・空観心・恭敬心・卑下心・無雑乱心・無見取心・無上菩提心です。この呪文を唱えることで、外道の典籍に通じ、世間八万四千種の病気を治し、一切の天魔鬼神を降ろし、一切の山精・悪人を屈服させ、一切の善神・龍王・金剛力の常なる衛護を感じ取ることができます。この呪文を持てば、いつどこにいても、いかなる恐れ・災害・危険・道に迷う・病変・煩悩業障があっても、解決できます。そこで、無礎大悲・救苦・延寿・滅悪趣・破悪業障・円満・随心自在・速超上地といいます。
〈大悲心呪〉の略称は〈大悲呪〉で、合計八十四句あります。この呪文を唱える者にも規定があります。:衆生を広く済度する大菩提心を発する;斎戒を持する;諸衆生に平等心を起こす;常に絶えずこの呪文を唱える。またこう要求します:静かに座禅をして、沐浴してきれいな服を着、旗を掛けて明かりを灯し、香りの良い花及び各飲食を観世音菩薩に供養し、その後心を落ち着かせ、雑念を起こさず、法のまま唱えます。この規定は、儀軌です。もし法と儀に従うならもちろん最高で、せめて恭敬心及び集中心でこの呪文を唱え、恭敬専心できれば、必ず願いは全て叶います。 (五)〈六字大明呪〉 〈六字大明呪〉は、「?嘛?叭メイ吽」で、中国には、チベットとモンゴルのラマ教の伝入に伴い、元朝以降に広まりました。そのため、元朝以前の仏教文献の中には見当たらず、清朝初めになって《禅門日誦》に十小呪が収録されました。モンゴルとチベットのラマ教の領域では、この呪文は一般信徒が常に唱える法門で、観世音菩薩の利益六道を表す神呪です。 (六)〈白衣大士神呪〉 この呪文の出現と伝わった時期は更に遅く、出典先と訳者は不明ですが、おおまかには大士化現時にある人が授けた法門で、インドから来た伝訳ではありません。中の「天羅神・地羅神・人離難・難離身・一切災殃化為塵」の文は通俗化し、民間信仰に近いです。明らかに、その中の帰敬三宝、帰敬観世音菩薩、帰敬摩訶般波羅密は、古来より仏教徒が日常唱えていた内容で、霊験は非常に顕著で、民間の伝唱も極めて普遍的です。そして、一万二千遍を一願として唱え、一願が成されなければ再度二願をし、願を多くすれば必ず成就します。願いが満たされた後、すぐこの呪文を千二百枚印施します。この呪文の内容は: 南無大慈大悲救苦救難広大霊感観世音菩薩(三称三拝) 南無仏 南無法 南無僧 南無救苦救難観世音菩薩 怛垤? ? 伽?伐? 伽?伐? 伽訶伐? ?伽伐? ?伽伐? 娑婆訶 天羅神 地羅神 人離難 難離身 一切災殃化為塵 南無摩訶般若波羅蜜 この呪文は初期の大陸時代に見られ、一枚の紙上に、白衣大士像・呪文・六百個の小さい円が印刷され、持誦者が二十遍を唱える毎に円を数えるようになっています。現在、ある人は〈大悲呪〉持誦法を参考し、このため持誦の規則を加え、また、この呪文を持誦したい者は、まず大士像の前で、手を洗い香を焚き、恭敬供養し、至誠頂礼し、唱えるのが終わってから発願に戻ります。正当な心願は、癒病、消災、解厄、福、職、子、延寿等を求めるようなもので、不思議な効き目があります。 ( 1986 年 9 月 24 日補述、本文は《仏教入門》に収録) (七)《延命十句観音経》 《高王観音経》の簡略版は、古人の夢の中で伝授されました。《高王観音経》は東魏時代に、《延命十句観音経》は劉宋元嘉二十七年(西暦 450 年)に伝出されました。趙宋時代の四明志磐が西暦 1269 年に書いた《仏祖統紀》巻三六の記載には、こうあります。「元嘉二十七年、王玄謨北征失律、蕭斌欲誅之、沈慶之諫曰:『仏貍(魏世祖小子)威震天下、豈玄謨所能当、当殺戦将、徒自弱耳。』乃止。」玄謨は常に観音経を唱えてやめようとせず、すると死刑執行が停止されました。玄謨は官位が登り幕府を開ける(開府)まで、八十二歳まで生きました。 王玄謨はいかにこのめぐり合わせを得たのでしょう?玄謨は処刑されそうになったとき、夢の中で人から「観音経を千遍誦すれば助かるであろう」と告げられました。観音経も夢の中で人に口伝えで教えてもらいました。 「観世音、南無仏、与仏有因、与仏有縁、仏法相縁、常楽我浄、朝念観世音、暮念観世音、念念従心起、念念不離心。 (観世音菩薩に帰依します。我々にも仏と同じ因果の法則があり、また縁でつながっています。仏と法の縁によって、私たちは常に心を清らかにし、楽しく過ごせます。朝にも夕べにも観世音菩薩を念じます。この念は仏心から起こり、また心を離れません。)」(《大正蔵》巻四九・ 345 ページ中下) この観音経は、古人の夢の中から感じ取ったもので、インドからの伝訳ではなく、十句のみで、すでに三宝と観音の持名念法を備え、そこで趙宋から清朝の初めまで、仏教界に普遍的に伝誦されていました。特に、中国清朝初めの日本の江戸時代の白隠禅師(西元の 1685 年〜 1768 年)は、この経を弘揚すべく、資料を集め、《延命十句観音霊験記》を編集しました。近代の日本で有名な禅匠、原田祖岳も、《延命十句観音経講話》を書きました。中国では、この法門を知る人はほとんどおらず、そこで喜んで紹介し、人に勧めます。 (八)終わりに 以上の七種の法門から、観世音菩薩の救苦方便、深いものや浅いもの、根本や枝葉を知ることができます。《楞厳経》の「耳根円通」は、禅定の観法で、徹悟究竟の目的に達します。《心経》の「五蘊皆空」は、世間無常無我を観照する方法で、般若の実相を証します。この二部の経は、衆生還帰法性と仏同体を要し、一切の煩悩を除き本来の面目に自ら会います。〈普門品〉の持名は、観世音菩薩の救済を強調し、現実人世の苦悩の解脱を重視します。〈大悲呪〉の持誦は、現実の苦しみの解除を重視し、「蓮花化生(蓮花から生まれる)、恒在仏前。」と言います。〈白衣大士神呪〉の持誦の機能は、ほとんど全てが現世の利楽のためで、民間化と普及化の法門です。 しかし、いかなる法門でも、その層の高さと関係なく、三宝に謗らず、因果の原則に背かなければ、全てが発揚を受けるべきです。また、一般人が仏を信じ仏を学ぶ初めの段階で、多くは現世の利益と現前の幸福の要求から初め、善根を植えた後、仏法を聞き、次第に層が上がり、《心経》や《楞厳経》等の法門が修習できるようになります。そのため、〈白衣大士神呪〉は民間信仰に似ているようで、仏法中の一つの段階です。 ( 1987 年 1 月 20 日再補述、本文は《仏教入門》に収録)
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