| 仏鼓山の理念と精神 |
法鼓山の共通認識から、 新しい世紀に向けて 法鼓山の理念――人の品質を高め、この世の浄土を建設する。 法鼓山の精神――自己を奉献し、社会の大衆を成就させる。 法鼓山の方針――仏陀の本懐に戻り、世界の浄化を推進する。 法鼓山の方法――全面教育を提唱し、全体に配慮する。
仏鼓山の推進する全面教育には、結婚・胎教・幼児教育・青少年教育・宗教人格教育・老人配慮教育・臨終配慮の生死教育等があります。目的は人類配慮や人の品質を高める際、人々が自分の心中の浄土を見られるようにすることです。 皆さんは自分を卑下せず、慈悲と智慧に相応する考えだけを持ってください。このような考えを持つことで、生活は自分の内心の浄土の中に存在するでしょう。このような精神で家庭や生活環境を影響すれば、この世の浄土は、全面に次第に現れるでしょう。 仏鼓山の達成目標は、人心浄化・社会浄化・人品向上・環境改善・人心安定・社会安定であり、こうして調和の取れた人生・和楽の社会・平和な世界を達成します。 しかし、私達の共同の努力・実践・普及により、大きな自信・大きな願心が持て、新しい 21 世紀に向けて対応します。 (《平安な世の中》より抜粋) 仏鼓山の共通認識 仏鼓山の共通認識には 4 条、計 8 文があります。内容は以下の通りです。 仏鼓山の弘化理念は、「人の品質を高め、この世の浄土を建設する」です。 数年来、私達は心の環境保護と儀礼の環境保護の運動に力を注ぎ、各界の著名人の賛美と参与を得てきました。 寄付活動業務に就いたら、この清新で健康的なイメージを大切にし、慈悲心を欺かず、出来るだけ乱酔・煙草と麻薬・売春と賭博・ビンロウを咬むなどの悪い習慣を止めるよう取り組みます。 仏鼓山の弘化精神は、「自己を奉献し、社会の大衆を成就させる」です。各業種・各方面・各政党からの著名人も参加に同意しています。私達は、時世の人の心の安否や、国家社会の治乱に、大変関心を持っています。 そこで、各種の政治の選挙活動において投票を勧め、政治理念が合った有能な人物を選出します。もしくは、個人で選挙に立ったり、選挙を応援したりして、自己を奉献して社会を成就させます。 しかし、立場の異なる争いから、会員間の調和の取れた雰囲気を影響し、分裂の危機を避けるために、いかなる人も法鼓山の組織体系を使って選挙・立候補・応援の活動をしません。 仏鼓山の弘化方針は、「仏陀の本懐に戻り、世界の浄化を推し進める」です。私達の目標とする任務は非常に多く、私達の人力・物力には限りがあります。社会の気風の浄化を促進するために、勉強、配慮し、推進するべき関連項目は、すでに非常に多いため、全力で積極的に計画中の各項目に共鳴する以外に、出来るだけ多方面の要求や参与を婉曲的に断り、力量の分散と無駄を避けます。 仏鼓山の目的は、更に多くの人達と、早く仏法の応用による利益をわかちあうことです。そこで、仏法の修学・仏法の弘揚・三宝の護持で、社会の浄化・人心の浄化をするのが、法鼓山の基本方針です。 法鼓山の弘化方法は、「全面教育を提唱し、全体の配慮を着実にする」です。長い間、人心の浄化と社会の浄化、及び仏化家族の仕事の建設提唱に力を注いでいます。そのため、各界の著名人からは清浄・温かみ・和楽の仏教団体として認められています。 法鼓山の会員は、自ら成長し、自ら解け、お互いに配慮すべきです。しかし、各種可能な悩みを避けるため、全ての人は法鼓山の組織ルートを利用せず、商業経営・政治訴求・金銭貸借・男女不義等の活動に力を尽くします。 仏鼓山の僧俗四衆は、全てが全面教育と全体配慮の考慮の下で、自利及び利他の万行の菩薩を行い、世俗習気の汚れから避けるべく、名誉・地位・権勢・金銭などを要求せず、護持の報酬を奉献します。 仏鼓山は計四項の共通認識があります。第一項は理念、第二項は精神、第三項は方針、第四項は方法で、各項に二つ意義があります。
【仏鼓山の理念】 人の品質を高め、この世の浄土を建設する 人の品質とは、人の品格・品徳・品質を指します。長く優れた教育と社会経験を通して、人品は変わり、これを人の品質の向上といいます。人の品質を高めたい場合は、まず自分から開始し、一歩進んで他人の品質を高める手助けをします。数々の適した利益ある方法で人を助けることで、私達の環境中の共同生活をする全ての人が利益を得る事ができます。 同様に、この世の浄土を建設するのも、一人個人から取り組む必要があります。経験と鍛練中に力の限りを尽くして向上し、一方で自己の浄土を建設し、同時にこの世の浄土の理念を周囲環境中の他人に広め、皆に仏法の潤いを与え、仏法の因果観念を受け入れさせ、仏法がこの世でとても有効的であると体得させ、また仏教を認め、仏法を修学させます。 重点: 1. 人の品質を高めるには、まず自分から開始し、その後周囲の人へ広める。 2. 人品とは、品格・品徳・品質のことである。
【仏鼓山の精神】 自己を奉献し、社会の大衆を成就させる 現在の社会は混乱し、人の心は険悪です。それは、大多数の人達が私利私欲を貪り、この「自己を奉献し、大衆を成就させる」の精神を持つ人が少ないためです。 人々が自己を成就させたくて、奉献したくなければ、社会は互いに争い奪い合い乱れます。まるで一杯の飯を皆で争う状態となり、そうなれば皆も十分な食べ物がなくなります。 しかし、自己を奉献できるなら、他人を成就させ、人々全てが良くなり、お互いに良くすれば、更に良くなります。人々は皆利益を獲得でき、自分自身も利益を受けることができます。 この他、「奉献」と「犠牲」の間もある程度異なります。「奉献」は私達がすでに持っており、能力があれば他人を成就させられます。例えば、法鼓山の 20 文、「四衆佛子共勉語」は、まず最初に自分が理解してこそ、他人に紹介することができるのです。しかし、「犠牲」は損失となることをいとわず、大切なものを捧げることで、捧げた後は自分の元から無くなります。 重点: 「奉献」と「犠牲」は異なる。奉献とは自分が持ってからその後差し出す(時間・金銭・智慧など)ことで、犠牲とは、捧げた後、自分の元から無くなる。
【仏鼓山の方針】 仏陀の本懐に戻り、世界の浄化を推し進める 仏陀の本懐は、慈悲を持って志とし、法鼓山の言う仏陀は大慈悲の父であり、世界上で最も慈悲心のある人間です。そこで、「仏陀の本懐に戻る」は、仏陀の化身を望むことで、自己が仏陀の慈悲精神の発揚を望むだけでなく、全ての人達が仏陀の慈悲心と智慧の精神を学ぶことも望みます。同時に、人が存在する全ての場所に、この世の浄土が建設できることを望みます。 そこで、この世の浄化の活動を、全世界に広める必要があります。また、この活動はまずは台湾の一人一人の心から始める必要があります。 ある寄付担当会員が、寄付担当の仕事に携わってから、彼女自身の品質が高まったと言います。まず先に仏法が彼女自身の利益だと理解したため、他人にも感動させ仏法を受け入れてもらえるようにできるのです。しかも、寄付を募るのと同時に、他人にも更に仏を理解してもらえるように、貴方も仏法の学習に更に励みます。 一方は、熱心に仏を学び、一方は他人に仏を学ぶよう励まし、これこそ人心浄化と社会浄化を広める仕事です。 重点 1. 仏陀の本懐は慈悲と智慧の精神で、私達はこの二つの精神を学習し発揚する。 2. まずは自分から学習を開始し、その後他の人、他の場所を開拓し、更には全世界に広める。
【仏鼓山の方法】 全面教育を提唱し、全体の配慮を着実にする 仏教は盛んになりつつありますが、今まで多くの人が聞いたことのない正確な仏法があります。そこで、弘法の人材を育成し、大衆を導き仏を学んでもらうべきです。また、仏教の弘法人材はレベル(小学校の先生・中高等学校の先生・大学・大学院の先生等)があります。 また、ある人は深い哲理の研究が専門です。各レベルの人材は、全てが計画性のある育成が必要で、社会の各階層で全面的な弘法ができます。そこで、法鼓山の建設も各種レベルの教育、各種レベルの人材の育成を始めます。 その課程の設計には、長程・中程・短程があります。人材の育成法には、長期・中期・短期があります。また、通信教育部を設立し、児童の教育から大学院の高い教育まで、僧宝人材の育成以外に、在家弟子の育成も行われ、四衆佛子は弘法利生に携わることができます。 この他、法鼓山では仏教の修行教育を行います。例えば、朝山(寺廟に参詣)・拝懺(僧が読経して信徒のために懺悔をし、無病息災を祈る)・念仏・助念・座禅等の修行も教育です。また、食事・睡眠・談話の威儀も教育範疇の一つに属します。護法会、聴開示への参加も教育の一種です。法鼓山の会員に接触すること、法鼓山の理念・精神を他人に告げることも教育です。 そこで、法鼓山の参与者は全て現在では教育者であり、教育を受ける人でもあります。将来、全ての志願を持つ人は、全て法鼓山の各種レベルの教育を受ける機会があります。 事実上、教育と配慮とは一体化しており、教育の機能とは配慮です。なぜ教育をするかといえば、現代社会には、仏法が離苦得楽を助け、智慧・安全・健康の獲得を必要とする人がいるからです。他人を教育するため、自分も必ず教育を受ける必要があります。教学相長(教えることによって生徒だけでなく先生も向上する)できるため、この方法も非常に優れています。 重点 1. 全面性の教育は、各層別の人品を高め、この世の教育に配慮を指し、内容は精神面・学問面・生活面・仕事面等が含まれる。 2. 全ての人が教育家になるとは限らないが、皆は常に教育を受けるべきである。 (《仏鼓山の方向》より抜粋) 仏鼓山の理念 仏鼓山の理念と目標 仏鼓山の理念とは、法鼓山が推進する仏法を指し、全世界の国家・社会・家庭、ひいては、一人一人の生み出す安定・平和・平穏安楽・浄化の効用に対して言います。 仏鼓山の理念が仏鼓山でのみ実現可能でも、悪いとは言いませんが、その範囲は小さすぎます。そこで、台北県の金山郷の山中だけでなく、法鼓山と関連する全ての人、全ての家庭、全ての社会団体、ひいては全台湾・全中国・全世界、全てが法鼓山の範囲に属するよう取り組みます。 なぜ仏鼓山の理念を推進する必要があるのでしょうか? ここ数年、国内外の社会秩序が甚だしく乱れ、その原因を究明したところ、人の心の不安定が主な原因だといいます。現在の社会は、功利主義を重視し、何を行うにも、「自己の利益」が優先され、私利のみを求め公益を顧みず、心は不安で、価値判断の基準を失っています。実は、公平合理の功利主義は、激励に値するのですが、ただ目的を求め手段を選ばない功利主義は、人の心を冒し、社会に危害を及ぼし、必ず個人にも災いを及ぼします。 自分で取り組まず代価も払わず、ただ現実の利益を求めることは、不合理で不公平であり、社会のバランスを崩し、自分に危険をもたらします。 北投の街で一人の中年の女性に会い、こう話しました。「北投地区に多くの金光党(台湾の詐欺集団)が現れ、その中の一人が馬鹿役を演じ、山ほどの金の延棒・宝物・紙幣を持って歩き周り、彼の仲間がいたるところでこう耳打ちしていました。『私達がある方法で彼を騙しさえすれば、この金の延べ棒も宝物も全て私達の物です。貴方が私と組んで彼を騙し、それらを獲得したら、貴方に取り分を半分以上渡します。』ある人は得をしようとして、銀行口座の中のお金を取り出し、黄金や紙幣だと思った偽物と交換して家に持ち帰りました。それを開けると、中にはピーナツと紙くずが入っており、大声で泣き叫んで言いました。『私は本当に運が悪い!騙された!』しかし、何も役に立ちませんでした。」 私は言いました。「このような人は騙されるべきです。どうして分不相応な財を貪ろうとするのでしょう。金光党は詐欺集団で、分不相応な財を貪り、意識に問題のある非常に欲の深い人を騙すのです。」 実は、大半の人々の心の奥底には、分不相応な財を求める気持ちがあり、飢えたネズミのように、常に食べ物を取ろうとしています。これは、宝くじ購入や株売買の際にも見られます。例えば、明らかにその会社の株価は低いのに、強引にその価値を高くするのです。 自分さえ金儲けできれば、後の結果は自分とは関係ないと考えます。しかし、社会は一つの共同体であり、双方間はすべて利害が一致します。例えば、皆が一つの池の水を共用するのと同様で、もし自分が水質を大切にせず、思うままに汚い物を投げ込めば、自分もこの汚水を飲むことになります。
社会病の原因――貪り・怒り・愚かさ この時代に住む人の大半は、安全感がなく、生活に十分な保障が得られないと思っています。多くの人は、世風日下(日に日に悪くなる)で人心不古(人の心が軽薄)と思っていますが、実はこの種の論調は正確だとは限りません。 釈迦牟尼の時代から、衆生の心には三つの毒(貪り・怒り・愚かさ)があります。この三毒があることで、殺・盗・淫・妄等の数々の悪業がなされ、生・老・病・死の報いが生まれます。私達の人生の過程において、常に各種の病気に出会い、また、風災・水災・火災・地震・戦乱等の各種の災難に出会います。これは、貪り・怒り・愚かさが作り出した悪報なのです。
正確な意識を築く――因果の観念を認識する ある身体障害者の方がこう不平をこぼしました。「仏教は不公平です。仏教は、病気に罹るのは悪業がもたらすと認識し、報いを得るのだと。身体障害者は何も悪いことはしていないのに、視覚障害・聴覚障害・言語障害・肢体不自由など、不公平です。」私はこう答えました。「仏は貴方がこの一生で悪いことをしたから、こうなったのだとは言っていません。」仏教の教義とは衆生の煩悩を解除することで、天を恨んだり他人のせいにしないでください。すでにこのような結果になったので、それに向かい合い、恨んだりしないでください。煩悩が生まれたことを恨んだりせず、楽観的に奮闘するほうがいいと思いませんか? 仏法は三世因果を説きます。過去に行った善悪業が、今世に受ける楽と苦であると言い、私達に気持ちを落ち着け冷静な態度をとり、他人のせいにしないように告げます。前世の事は私達は全く知りませんが、それがきっと「ある」と信じ、「ない」と思わないで下さい。そうでないと、不満の心が生じます。「ある」と信じれば、少なくとも私達がどうして今このようになったか解釈することができます。仏法の作用は、私達の心を穏やかにさせ、状況に向き合わせ、努力を継続させます。 過去を信じる事で現在を信じることができ、現在を思うことで、未来を考えることができます。未来の為に、私達は事前準備をし、善意を心に込め、慈善事業の観念を持ち、それを行動に移す。これが因果の観念です。もしもこのような観念で自己・家族・世間の全ての人を楽しませることができるなら、この社会は自然に安全と安定の保障がされ、人の心も十分な安全感が得られます。 いわゆる安全感がないこと、それは明日や明後日に何が起こるかわからず、常に心配していることです。あるいは、未来に対して安定感がないことです。 仏法の立場に立つと、一切唯心造(この世の一切の万物、出来事は、只唯一、自分の心が造りだしている)であり、社会の善し悪し、個人の安否、家庭の和楽か否、全てが私達の心理活動と関係があり、一旦観念に問題が生じれば、全てが問題となります。 私達の心理は健康に保ち、いつでもどこにおいても怖がってはいけません。自分が自分を脅すことは、生死に原因があると信じ、まっすぐ、正しく行い、常に慈悲心を持ち、阿弥陀仏・観世音菩薩・地蔵王菩薩をより念じ、心に心配を貯めなければ、平安が得られます。 平安とは自分が自分に与えるもので、他人が与えるものではありません。また、家庭の平安も貴方一人が与えるものではありません。そこで、いつも家が平安でないと気にしないでください。仏教徒の本分の通りにしさえすれば必ず平安が訪れます。いつも子供が不真面目だとか勉強しないとかを気にして、師父の加持や祈りを希望する、一般にこのような人間がいます。私はこのような人にこう言います。「心配しないで下さい。全ての人は福報を持っています。子供の頃から勉強しない人の多くが、大人になってから大きな会社の社長や会長になっていますよ。子供が勉強したくなくても、将来思い直して勉強しようと思うかもしれません。その日が来れば、子供達は一生懸命勉強するようになるでしょう。貴方は子供の代わりに阿弥陀仏や観世音菩薩の名前を念じてもいいですし、同時に、貧しい人に布施をし、三宝に供養し、子供の為に培福祈福(福を培い福を祈る)します。」 息子と娘に、自分で独立するよう励ますべきです。これは彼らの面倒を見るべきですが、心配する必要はないのです。事業に対しては、計画をし、先見の目を持ち、努力を惜しまないことです。それで成敗と損得を心配することはなく、これも仏法の因果観念です。 仏法はすでに因果観念をはっきりと述べています。「各々がご飯を食べ満腹となり、各々に生と死がある」近い親戚でも、お互いを置き換えることはできません。各々が自己の前因と自己の後果があります。今世は前世から来るもので、未来は現世から行くのです。もしもこのような観念を持っているのなら、未来を心配したり、現在に対して失望することもなく、現在の幸せのために有頂天になったりもしません。
仏鼓山の理念を広める 法鼓山の理念は、仏教の因果観念をあらゆる場所の人達に伝えることで、法鼓山の全会員が自分で先に体得し、その後、この体験を家族に伝えます。また、自分と関係ある人、関係ない人、接触する全ての人に伝え、全ての人に健康な心理・健全な家庭・平穏安楽な社会・平和な世界、つまりこの世の浄土を体得してもらいます。この世の浄土をあまり遠くに見ないで下さい。安全・安定感さえあれば、この世の浄土の感覚は私達の心の中に現れます。これが法鼓山の理念です。 ある人はかつて私の為に台湾各地の数々の講演を手配し、各所で仏教を説き、仏法を開示し、彼らは「これで、一網打尽だ。」と言いました。実は、私は台北・高雄・台中・台南の各地で多くの大型の講演を行い、各回の講演において、一部の人を感動させ、一部の人を仏教徒に導きましたが、仏法を人の心に深く植え、法鼓山に対して向心力を生ませるためには、やはり仏鼓山の運動に参与する関係者が着実に着手すべきです。 法鼓山の会員は皆、法鼓山と関係があり、法鼓山の鼓手でもあります。また、慈悲と智慧の仏陀の化身の代表でもあり、法鼓山の観念と精神でもって他人に接触します。これは私一人が講演をするのよりも更に効果があります。なぜなら、皆さんが自ら面と向かって多くの人達に接触し、面倒がらず多くの人達と繋がるからです。この方法に接触する人は、一度の講演会に出席するよりも更に存在感があります。
普及の方法 知らない人に接触する時、法鼓山の理念を普及する全会員が、資料や小冊子を持ち歩き、接触する方法を取ります。これで、人々に理解してもらいます。 この人たちが閲読した後、少なくとも数名はこれらの資料を更に他の人に渡して読んでもらったり、口頭方式で他人に伝えたりします。冊子や口頭での宣伝を通して、弘法の力量は更に強化されます。 私達は更に多くの時間を費やして法鼓山の全員に配慮し、慰め励まし、全会員に勇気と自信を与えます。これも法鼓山の理念普及の最高の方法・手段で、最も効果のある管道です。 皆さんは三宝の代表となり、釈迦牟尼仏を助け仏法を普及する必要があります。私達の目的は、釈迦牟尼仏を助けるだけではなく、全ての人を助けることです。実は、仏法で人々を助け、最後に最も利益を受けるのは自分なのです。 法鼓山の理念は因果観念を普及することで、因果観念とは仏法の根本原則であり、この世を浄化する最高の方法です。 (本文《仏鼓山の方向》は〈法鼓伝法音〉より抜粋)
前人の業を継ぎ、前途を開拓する 私は法鼓山の会員の皆様に非常に感謝しております。長年にわたって法鼓山の理念を認め普及させ、法鼓山の現在の社会における各貢献が社会各界にて賛美されています。私は皆様の護持を光栄としています。皆様も法鼓山の会員であることを誇りに持っていると信じます。 仏鼓山の社会運動は長年にわたって、「四衆佛子共勉語」を基礎として、「四つの環境」と「四つの安」を紹介し、私達の理念を徹底的に着実に実行し、共同認識を完成させています。 そのため、法鼓山は多くの栄誉と賞賛を得て、私個人も現代社会の啓蒙者の一人と見なされ、 1998 年の《天下雑志》にて、この 400 年で台湾社会に最も影響を与えた 50 人の中の一人に選ばれました。これもすべて皆様方との努力の賜物であり、この栄誉を皆様に奉献します。 仏鼓山のアメリカ分会とニューヨークのチベットハウスの共同主催で、ニューヨークローズ広場にて、ダライラマ 14 世との漢蔵仏学対談会が開催されました。これは当代世界仏教会の一大イベントであり、漢・蔵(チベット)二つの仏教での史上初の試みで、国内外の各大手メディアにて大きく報道され、賞賛されました。 その対談は論争ではなく、相互を尊重し、互いに学習し合う原則に基づき、共通点を見つけ出し、異なる点は残しておくという共通認識にて、数千名もの西洋・東洋の観衆に向かい合い、法喜と禅悦の気分を満たし、お互いが認識する仏法を交換したのですが、意外にも多く共通点が見つかりました。私が法鼓山の理念を紹介した後、ダライラマは特に興味を示し、皆の前で賛同し、また祝福してくれました。この世の浄土を建設する理念の普及に成功しました。 「徳不孤、必有隣(徳は孤ならず、必ず隣あり)」であり、法鼓山の理念を皆さんに認めてもらっただけでなく、ダライラマにも認めてもらいました。漢文化の中だけでなく、チベット文化の中でも認めてもらったということになります。台湾社会が必要なだけでなく、全体の人類世界も必要とします。現代の社会が必要とするだけでなく、未来の社会も必要とします。これは私、聖厳法師の信念と心底からの願いです。私も、この理念は永遠に人々に推進されると信じます。
三大教育を全面的に推進する 私達はいかに法鼓山の理念を普及させるのでしょう?それは法鼓山の共通認識の「方法」です。「全面教育の提唱」で「着実に全体に配慮」を実行します。全面教育とは、三つの重点に分けられ、「三大教育」と称されています。 ( 1 )大学院教育。二つの面に分けられます。 1. 法鼓大学と中華佛学研究所を創立。前者は、人心浄化と社会浄化の仏教の精神で、人の品質とこの世の浄土を建設する各種専門の指導者を育成向上させることで、後者は優良な仏学研究の環境で、高水準の仏学研究者を育成、蓄え、国内外の学術界と知識分子を動かし、仏学を重視し、仏教を尊重し、 21 世紀の人類世界を影響させ、人の品質の向上、この世の浄土建設の大傾向を認め、受け入れることです。 私達はまたこの双方の教師の力量を合わせ、一方は優秀な出家僧に機会を提供し、大学院教育の基礎を定め、一方は大学院及び大学程度に相当する仏学普及センターを設立し、将来も放送教学の仏学通信教育部を創立します。皆様方、またお子様方も、法鼓山のこの面での学生と教師になる機会があります。 2. 法鼓山僧伽大学も設立しました。ここは将来宗教専門人材の養成を提供する施設で、志願制で、仏教の宗教教育・宗教文化・修行指導・法務推進が勉強でき、宗教事務等の仕事に携わる僧俗四衆は、全てが僧伽大学の学生及び職員になる機会があります。法鼓山は台北県の金山郷にあるソフト・ハードの建設で、台湾全民を服務の主要対象とするだけでなく、将来は地球世界の全人類を服務の対象にします。そこで、ここは国際願景のある世界仏教教育園区です。 ( 2 )大普遍化教育。多面に分けられます。 1. 伝統仏教を運用した各種修行活動は、大普遍化の使命と教育の機能を与えます。例えば、座禅・念仏・礼懺悔・祈福法会・斎戒会・菩薩戒会・講経・清明・中元の超度法会等の共修活動などであり、すべて参与者が仏法を聞き、仏法を体験し、それによって法鼓山の理念を普及させることができるのです。 2. 現代文化を運用した各式活動は、教育の機能を与えます。例えば、仏学書出版、園遊会・慈善バザー・展覧会の開催、合唱会・ボランティア団・読書会・シンポジウム・書画・茶芸・生け花・折り紙工芸・クッキングアート・球技チーム・読経班・鈔経班等の活動を推進し、参加者が奉献及び活動の過程中に、仏法の智慧を受け入れ、生活の興味を高め、協力精神・和楽・積極を陶冶し、他人を尊重し、他人を思いやり、他人に協力し、他人を学習する謙虚な精神で、自己の人品を高めることで、周囲の社会環境を影響させます。 そこで、法鼓山の菩薩達は、皆品のある善知識で、非常に謙虚で、人の意見をよく聞き入れる上善人です。もしも表現が荒っぽくて傲慢なら、私、聖厳師父が、他人に私の教育が悪いと非難を受けるでしょう。私達法鼓山の全体のイメージも批判を受けることになります。私達の理念も社会大衆に認められなくなります。そこで、私は皆様方にお願いしたいと思います。私達は必ず警戒心を持ち、努力する必要があります。 ( 3 )大配慮教育。広い意味で言うと、私達は配慮で教育の機能を完成させ、教育で配慮の任務を達成します。そこで、法鼓山の三大教育は、全てが配慮の教育であり、私達は安心・安身・安家・安業の四つの安と、心の環境保護・礼儀の環境保護・生活の環境保護・自然の環境保護の四つの環を用いて、大配慮教育を推進します。 狭い意味で言うと、私達は人類の一生において、受胎する時からの胎教から、死亡時の臨終配慮と往生配慮の間における、各段階各面の配慮を、大配慮教育と呼んでいます。 私達が現在すでにしていること、例えば、帰依した弟子の配慮・婚前教育・連合婚礼・児童クラス・児童学仏キャンプ・中学及び高校の少年学仏キャンプ・大学青年仏学キャンプ及び学仏キャンプ・成人式・連合誕生会・連合冠婚葬礼・臨終及び死亡配慮の助念団等があります。 これらの活動は、私達が取り組み非常に成功させることができ、皆様に感謝したいと思います。そこで、自己満足せず、皆さんを励まし、更に良くさせ、向上に向上を重ねるべきです。
仏陀の本懐に戻り、理念を実現させる この法鼓山の三大教育は、大半はすでに実行されており、若干数項目残っています。法鼓山のハード面の工程が完成後、実現することとなります。例えば、法鼓大学がそうです。法鼓山の建設が完成後、皆さんにも法鼓山の新しい建築物に行っていただき、各項の修行活動に参加していただきます。 仏鼓山は、僧俗四衆が共同に擁する大家族に属し、出家した二衆は、続仏慧命の為に取り組み、また、多くの信衆に服務し、仏法を修学します。在家二衆は、仏法の修学と三宝に対して布施と護符の為に取り組みます。皆は、仏教の修学・仏法の護持・仏法の弘揚が目的で、法鼓山理念の下で団結し、法鼓山の共通認識の中で養育されます。 そのため、世間の状況であろうと、いかに危険で混乱していようと、私達は仏法が体験する内心の世界(安寧)を運用し、仏法が体験する生活環境(祥和)を運用します。「この世の浄土」は、絶対に空想や夢ではありません。仏法の慈悲を体験し、仏法の智慧を運用し、短時間で考えが生まれ、当面の環境が浄土となるでしょう。 仏鼓山の理念は、私、聖厳師父が提唱したものですが、私一人の独創的な見解ではありません。仏教の教主である釈迦牟尼によるもので、この世の悲願のある場所に出現するのです。彼は気付きました。人類と一切の衆生は、貧富と関係なく、内心のもがきと生離死別の苦悩を逃れることはできません。問題は、環境の善し悪しや身体の強弱、観念の転倒ではなく、主要なのは、貪欲・恨み・愚鈍の三種の心理要素が邪魔しているのです。 そこで、仏陀は皆を励まします。布施と喜捨で貪欲の煩悩を断ち、慈悲と忍辱で恨みの煩悩を断ち、因縁法と因果法の智慧で愚鈍な煩悩を断ち、禅定と精進の力量で散乱と不安の煩悩を断つように言います。もしこれで実践されれば、煩悩を断つことができ、もし煩悩が断てれば、仏国浄土の出現に等しいです。これは全て仏法の精髄です。法鼓山の方針は、「仏陀の本懐に戻り、世界の浄化を推し進める」で、これもこの原則を根拠としています。私達は三大教育を推進し、この原則に基づきます。
事前人の業を継ぎ、前途を開拓する、共同努力する この世の浄土の理念は、多くの仏経仏語の総合研究によって出されました。主要なのは、 1. 《増一阿含経》では、「諸仏は皆この世を出る」と説きます。 2. 《四分律》では、仏陀が初めに五比丘(五人の弟子)を度した際、彼らにそれぞれこの世で遊化するよう説きます。 3. 《維摩経》では、「その心浄きに随って、すなわち仏土浄し」と説きます。 4. 《大般若経》では、「有り余った衆生」すなわち「厳浄仏土」と説きます。 5. 《華厳経》では、「初発心時に正覚を成す」と説きます。 6. 《法華経》では、「若し人散乱の心に、塔廟の中に入って、一度南無仏と称せし、皆已に仏道を成ぜし」と説きます。 7. 《宗鏡録》では、「一念成仏」の説を主張します。一念が慈悲と智慧と相応し、この一念で成仏します。一念が仏と相応し、一念は浄土に住み・多念と仏は相応し、多念は浄土に住み・一人と仏は相応し、一人は浄土に住み・多くの人と仏は相応し、多くの人が浄土に住み・人々と仏は相応し、人々は浄土に住みます。 私達法鼓山の会員達は、常に共勉語の「慈悲に敵無し、智慧は煩悩を生まず」で自他を励まし、常に仏と相応する練習をしているのではないでしょうか?常にこの世の浄土の風景を見ているのではないでしょうか?ですから、私はこう言いました。私の内心の法鼓山はすでに完成されましたが、皆さんは信じますか?貴方の心の法鼓山も完成されましたか?広い世の中の多くの衆生の法鼓山はまだ完成していません。そこで、この世の浄土を建設する理念は、私達を待っています。事前人の業を継ぎ、前途を開拓し、共同努力します。 もしも仏法で自他を利することができないのなら、この世界は永遠に暗黒で恐怖で、災難が多くなります。現在、地球上に生活する全人類に仏法の救済が必要です。しかし、仏教を信じる人口は世界三大宗教の中で一番少なく、仏法の外道も少なくなく、仏門の中に身を寄せています。そこで、ここ数年多くの宗教の悪いイメージが作り出され、仏教徒の名分の下に記録されます。この宗教多元化の開放された社会の中で、私達を批評しても何の用途もありません。 21 世紀に突入した人類は、宗教教育が普及すれば、自ずと宗教信仰の選択能力が持てるめ、最も重要なのは、正信の仏法の実践・護持・弘揚の仕事において、いかに強化・加速させるかということです。 法鼓山が設立されてから、間もなく十周年となります。皆様方菩薩の同心同願・一師一門によって、法鼓山の精神「自己を奉献し、社会大衆を成就させる」を発揚させます。そこで、私達は仏法の責任を広めるだけでなく、仏法の力量を弘揚します。しかし、法鼓山の僧俗四衆は、大悲願を発し、正統仏法の信心を弘伝しますが、自我膨張の慢心を持ってはならず、謙虚に学習し、人の長所を見習って自分の短所を補います。私達の長所を奉献して、他人の短所を包容します。永遠に自己満足しなければ、永遠に前途があります。永遠に謙虚に自己批判すれば、永遠に進む道があります。 法鼓山の菩薩を祝福すれば、心身自在です。全国の上から下まで祝福すれば、安和楽利です。世界人類を祝福すれば、和平安康です。法鼓山の理念を祝福すれば、普遍的に人に受け入れられ、永遠に誰かが広めます! (《仏鼓山の方向》から抜粋)
万行菩薩が衆生を済度する 法鼓山の理念は、「人の品質を高め、この世の浄土を建設する」です。誰が人品を高め、誰の人品を高めるのでしょうか?私達自身が自己の人品を高め、その後他人を影響させることができるのです。そこで、自己の人品を高めることが最も重要です。
「点火」作用を発揮 法鼓山創立からあまり時間は長くありませんが、台湾全国で、法鼓山が築き上げた清新なイメージと影響力は、既に皆さんに認められています。法鼓山の人数は多くはありませんが、多くのことに取り組んできました。台湾において、法鼓山はすでに相当大きい「点火」作用と機能を発揮しています。 ある政治上級指導者と対談した時、彼も「礼儀の環境保護」を主張すると言いました。生活品質の環境保護と自然環境の環境保護に言及することはあっても、他に「心の環境保護」や「礼儀の環境保護」があると考えたこともなかったそうです。この二つの観念は、民間の支持から政府単位の同意まで得られ、台湾ではとても大きな影響があるといえます。
仏法を世の中で実行する 法鼓山のボランティアがこの活動を推進し、各活動は、台湾全土で肯定・同意・共鳴が得られています。 私、聖厳法師が点火の担当で、いくつかの理念を世に出し、ボランティアがこの理念を推進・実施・宣伝・発揚します。ですから、私はこう言います。「法鼓山の今日のこの成功は、全て皆様の貢献と功徳です。ありがとうございます!」 例えば、法鼓山が唱える「心の環境保護」や「この世の浄土を建設する」等の観念は、既に台湾に広まり、共鳴を得ています。仏教界が実践しているだけでなく、多くの団体も用いています。 「心の環境保護」等の名詞は私が始めに使い、法鼓山が推進するだけでなく、他の仏教団体も「心の環境保護」を推進し、いたっては環境保護局も「心の環境保護」に共鳴し、メディアでもこの理念を度々報道しています。 「儀礼の環境保護」の理念は非常に鮮明で、多くの人達に共鳴いただいています。内政部に協力して活動を開催したり、教育部にも支持を得ている以外に、環境保護局も「儀礼の環境保護」を提唱し始めました。 過去の仏教徒は非常に保守的で消極的で、念仏で浄土を求生し、念仏で生死を求了することのみを知り、仏陀の本懐までよく観察していませんでした。浄土を求生し、生死を求了することはもちろん正しいことですが、釈迦牟尼仏の慈悲本懐を見落とすことは間違いです。 仏法の目的はこの世で多くの衆生を済度することです。方法は一人一人が正確な生活観念を築くように導き、正確な生活目標と生活規範を指し示します。 法鼓山は仏法をこの世の社会に実行させ、仏法を各家庭の中まで送るべきで、全ての家庭にも仏法の「慈悲の光」と「智慧の光」を接触させ、この世に温かみを持たせ、人々に身安・心安・家安・業安させます。これが真に確かな平安です。 (《仏鼓山の方向》より抜粋)
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