日常生活中の仏法

 

仏法とは何でしょう?

仏法とは、その名が示す通り、仏陀の説く法要のことです。釈迦牟尼仏は、この世で 49 年間説法を行いました。彼の説く法は、決して研究すべき知識・学問ではなく、離苦得楽(苦を離れて真実の楽を得る)が目的であり、仏法自身は、実用的な価値を持っています。

 

仏法の基本思想−−知苦と離苦(苦を知り、苦から離れる)

仏法の基本思想は、言うまでも無く離苦得楽です。

知苦は生活の事実であり、離苦は生活の目標です。

以前、講演の時、聴衆にこう聞きました。「結婚して 10 年以上で、今まで喧嘩をした事がない人はいませんか?」結果、ある立法委員が手を挙げました。彼ら夫婦は二人共仏教徒で、お互いを修行する伴侶とみなし、今まで喧嘩をした事がないといいます。

夫婦になって喧嘩をしないというのは、一見困難に感じますが、実は容易です。ちょっと考えてみればわかります。相手が喧嘩を売ってくれば、とても嫌な気持ちになりますし、その喧嘩を買うのなら、状況は更に悪化します。苦しみに苦しみが加わるのです。自分も苦しい目に遭っているのに、相手にも苦しみを与え、互いに苦しくなります。こんなことは、わざわざしなくてもいいですよね?

この道理はわかりやすいですが、実行に移す事は容易ではありません。例え仏教徒であっても、辛い立場に直面すれば、試練に耐えられないかもしれません。「彼は私をこんなに苦しめた!相手にもこの苦しみを味あわせてやろう!これこそ因果応報だ!」と言う人もいます。

因果応報は、なぜこう解釈されてしまったのでしょう?因果は、前世・今世・来世の三世から成り立つもので、今現在受けている苦しみこそ、果報なのです。苦しみを受けることは恩に報いる事と同様で、もしも貴方が負債返済をしようとせず、かえって事態の悪化を望み、復讐をし、戦い合い、恨みを報い合うなら、永遠に終わりません。本当に因果を理解していれば、苦しみを知ることも受ける事も出来、その後は苦しみの原因を作ることもなくなります。そこで、夫婦がお互いを困らせ、報復し合うのなら、慈悲心だけでなく、知恵もありません。

 

離苦の方法

(一)正しい知見

仏法は、苦の事実を示し、多くの苦しみから逃れるのが目的です。しかし、苦しみからどう逃れるのでしょう?

仏法中の四聖諦−−苦諦・集諦・滅諦・道諦。これは、一般人が聖賢に変わる道で、苦諦は人生論で、道諦は修道論です。( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E8%AB%A6  参照)道諦の内容は八あり、これを八正道(正見・正思惟・正語・正業・正命・正念・正精進)と呼んでいます。この八正道さえ達成できれば、全ての苦しみから逃れ、解脱する事が出来ます。

正確な知見は非常に大切であり、三世の因果を信じることです。正しい知見があれば、自分がこの一生に受ける苦しみは、過去に積み重なった業から来るのだと信じられます。ある人は、「私はこの一生で人を傷つけた事がないのに、なぜ私が傷を負わなければならないの?」と言いますが、当面の果報は、まさに過去に植えられた因から来るということを知らなければなりません。

私達は、始まり無い永劫の昔から、彷徨い、生と死を繰り返し、無数の人生において、どれだけの善縁と悪縁を結んできたかわかりません。善縁を結べば善果がもたらされ、悪縁を結べば悪報がもたらされます。そのため、果報は現在のこの一生だけを見ることは出来ません。多くの人は今世の報が見られないため、因果がないと考えがちですが、事実、今世で作られた悪因は、今世で報いを受けなければ、来世も同様に因果律から逃れることは出来ないのです。

 

(二)諸悪を避け、平然と報いを受ける

いかに離苦得楽が出来るのでしょう?まず、一切の悪因を止める、つまり諸悪を作らないことです。また、自分が報いと苦しみを受けるのと同時に、他人の苦しみと困難から救い出します。例え、誰かが私達を苦しめようとしても、逆らわず、相手のためを思い、相手の幸せを願います。これこそ菩薩の精神です。菩薩道を進む事が出来るなら、自分は苦しみと迷惑を受けても、不公平だとは考えないようになります。  

生まれて三日も経たないうちに両親に売られた一人の在家の弟子がいます。五十年の月日が経ち、養父母の死を見届けてからも、年老いて余命の短い生みの両親の世話もしなければなりませんでした。他の人達は彼に同情していましたが、彼はこう言っています。「師父!私は本当に福があります。他の人達は一組の両親しかいないのに、私には二組もいるんですから!」

彼はこのように考え、心は嬉しく、とても落ち着いていました。反対に、「生みの両親は本当にひどい!私を生んで三日も経たないうちに私を売ったくせに、自分たちが年老いたら、私が彼らの面倒を見なければならない。本当に道理がない!」と恨み言を言うのなら、これこそ非常に苦痛です。

このように、子供が両親より多くの犠牲を負うケースはごくまれです。大半は父母の犠牲が比較的多く、子供の犠牲は少ないものです。これでも、何も不公平で不合理な事はありません。私達が穏やかな心を持ちさえすれば、人生はもっと楽しくなります。

現代社会において、いつも公平が取り上げられますが、本当にそんなことが可能なのでしょうか?例えば、どうして女性だけが妊娠して出産するのでしょう?男性は妊娠も出産も出来ませんね?ですから、いくつかの事においては、根本的に公平にはいかないのです。公平の真の意義とは、全ての人が各自の立場に立ち、自分の役を適切に演じ、自分の責任に尽くすことこそが合理公平といえます。

特に、仏法の正しい知見が備えられれば、正確な因果観を通して、全ての人が福報・因縁・知恵を持つ事を知る事ができます。しかし、各自の状況は異なります。この道理が理解できれば、不平不満がなくなり、心が落ち着き、煩悩が無くなり、目の前の敵も減るでしょう。

 

仏法の作用

仏法の作用は、三つの段階に分ける事が出来ます。 1. 日常生活の応機接物(相手や事情によって対応を変える) 2. 煩悩断滅  3. 円満成仏。この三つの段階ら見ると、私達は高望みやいきなりの出世を望んではならず、まずは、日常生活のスタート地点から着実に始めるべきなのです。また、段階とは関係なく、常に努力する事が大切で、ひたすら菩薩の加持に頼ってはいけません。

もちろん、外からの加持も、ただ頼れないというだけで、不可能ではありません。我々中国人は、「自分や他人を助ける人は、他人と天に助けられる。」とよく言います。自分にちょっとした能力も無ければ、一旦外部からの援助が断ち切られたら、深い苦難に陥ることになります。例えば、今後食べるものがなければ、誰かが今日・明日の食べ物を差し出してくれるかもしれません。しかし、ある日その人が遠くに行ってしまったり、提供者自身が三食食べられない状態になったら、今まで頼りにしてきたこの対象にも依存できなくなります。多くの人は、永遠の恵を与えてくれる権威の神の存在を願っているかもしれませんが、残念ながら、これは信念のみで、事実ではないのです。

仏法が告げるように、自力で更生するのが最も大切ですが、他人を否定して完全に自分の力に頼るのもいけません。それでは、頑固で独りよがりになる可能性があるからです。私達は、誰かにどのように仏法を運用するかを指導してもらう必要はありますが、諸仏菩薩と護法龍天(外敵から佛と法を守る神)の慈悲と加護も信じています。

 

在家居士はどのように修行するか?

かつて一人の信者が言いました。「師父!私は家庭に負担を持たない師兄達をとても羨ましく思います。彼らは修行に専念する事が出来ますし、高い法力を持っているようです!」

彼が言いたかった事は、どの家庭にもみなそれぞれ困難があるということです。どうやってこれらの困難を解決すればいいのでしょう?実は、浩瀚の経典中の《六方礼経》に、「いかに自分の役割を厳守し、修行するか」について、在家居士向けに専門的に示されています。

 

(一)居士の知るべき《六方礼経》

《六方礼経》の全名は、《尸迦羅越六方礼経》で、これは在家の居士達がいかに家庭を守り、修行するかを指導する経書です。礼経では六方をこう示しています。東方は親を敬するなり、南方先生を礼するなり、西方は妻子を礼するなり、北方は友達を礼するなり、上を向いて礼するは神仏に礼するなり、下を向いて礼するは一切衆生を礼するなり。この六方は、実際に人生での各方面における人間関係を含みます。礼経の中には、例えば、父母は子供のためにはどんな責任も尽くし、子供も両親のためにどんな責任も尽くし、先生と学生の間、上司と部下の間、お互いに尽くす義務があるなど、各個人の演じるべき役割をおさえるべきであると示しています。

夫婦の付き合いの記述において、夫が妻に心がけるべき点が五つ示されています。1.妻の人格を尊重する。 2.妻を正しく愛する。 3.金銭、衣服、装身具を与える。 4.経済、家事、育児をまかす。 5.妻の両親を敬愛する。

また、妻が夫に心がけるべき点も五つあります。1.夫より先に立つ。 2.夫より後に座る。 3.誠実な言葉を使う。 4.夫を尊敬し、従順する。 5.まず尊重すべき意志を受けとめる。現在は背景も異なり、これを現代社会に適用する必要はありませんが、相互尊重と相互信頼の原則は、守る価値があります。この礼経には、実用的な内容が豊富に記述されていますが、あまり広く知られていないので残念です。まずは、法鼓山の《仏化家庭手帳》、《仏化婚姻と仏化家庭》及び、拙著《一人の居士をいかにするか》をご覧いただければ、在家居士の心がける点がわかり、非常に実用的です。

 

(二)正常な生活スタイル

在家居士にとって、正常な生活スタイルが必須で、暴飲暴食、売春、賭博、深酒、麻薬は厳禁です。

 

(三)善知識と付き合う

飲み仲間とばかり付き合っていれば、健康と正常な生活態度を持ちたくても難しいです。儒教では、「友直・友諒・友多聞(正直な人、誠心な人、もの知りな友)」を主張し、友達は、正直な心をもち、計算高くない人を選ぶべきです。正直な人の口は、軽くないでしょう。口が軽い人は、色々言い過ぎてよくいざこざを起こします。友諒は、貴方を理解し、寛容な人です。友多聞は、豊富な知識・学識・教養のある人です。

仏教には、「善知識」という言葉があります。釈迦牟尼仏は、善知識に近づき、悪知識から離れるべきと告げています。儒教にも同じ意味の言葉があります(近君子而遠小人)。善知識とはどんな人でしょうか?交流してためになる友人や率直に忠告してくれる友人は全て善知識であります。今まだ善知識でない人は、学習して他人の善知識となるべきです。

 

(四)義務尽くして、権利問わず

多くの人はよく互いに不平をこぼします。例えば、自分の奥さんが優しくないとか、ご主人が忠実でないとか、姑が思いやりがないとか、嫁が機転が利かないとか、子供が親不孝だとか・・・。一体誰が悪いんでしょう?私は、不平をこぼす人全てが悪いと思います。ただ、家族全員を菩薩として見、自分の責任を尽くすだけで、少なくとも悪い気持ちは起こりません。だったらどうして不平をこぼす必要があるのでしょうか?

家族の揉め事の原因は、全て当事者の内心に問題があるのです。家族を敵と見、財産として支配しているのです。

以前、一組のカップルに会ったのですが、「師父!私達、結婚します。将来、私達が喧嘩をすることがあれば、師父の所に相談をしに来てもいいですか。」と言うので、私は、「変なことを言わないで下さいよ。まだ結婚もしていないのに、喧嘩の話をするなんて。」と答えました。この後、男性は女性に、「聞いたか?今後お前が僕の話を聞く時は、喧嘩はダメだぞ!」と、女性は男性に、「いいえ!貴方が私の話を聞く時は、私に喧嘩は売らないでね。そうすれば、私達は師父の所に相談しに来なくていいからね!」と始まり、このカップルはまだ結婚していないというのに、すでに喧嘩を始めました。

これが実際の世の中です。夫婦は喧嘩を望んでいないのに、これを避けることは本当に難しいです。《六方礼経》と先ほど紹介した三冊の冊子には、いかに自分の義務を尽くし、家族にどんな責任を負い、親としてどんな義務があり、子供のためにどうすべきか、という内容を紹介しています。もしも全員がいかに自分の役割を演じ、いかに責任を尽くすか理解すれば、お互い文句は言わなくなるでしょう。

 

(五)慈悲に敵はおらず、知恵は煩悩を生まず

不景気でリストラをされた二名の法鼓山の護法居士がおり、一人の居士に、「仕事はどうなりましたか?」と聞いたところ、とても冷静に、「師父は心配しなくてもいいんですよ!」と答えられました。落ち着いた彼を見て、安心しましたが、他の人だったら、恐らく不平をこぼしていたでしょうに。

もう一人の居士の状況は更に不公平でした。彼が解雇される前、何ヶ月も社長に残業を要求されたのですが、部門の責任者だったため、残業手当も出ませんでした。全ての人は彼は昇進すると思っていたので、仕事が完成して、まさか解雇されるとは思ってもいませんでした。普通の人はこのような状況に遭えば、恐らく非常に不満で、怒り狂うでしょう。しかし、彼はちっとも怒っていませんでした。自分はすでに新しいことを学び成長できたからと言います。

これから数ヶ月が経ち、彼に「就職活動はどうですか?」と聞くと、「師父、私はもう新しい仕事が見つかりましたよ!」と言うので、私は、「それは、貴方の心が落ち着いていたので、すぐに仕事が見つかったんですよ。」と答えました。

このような状況に遭遇する時、怒りは何の解決にもなりません。それでもなぜ怒るのでしょう?それよりも、現状を受け入れて、勇気を持って立ち向かい、改善すべきです。これこそ、仏法が日常生活に用いられた良い例です。

( 1995 年 5 月 13 日、米国のニュージャージー州における講演、游貞玲居士整理、本文は《平安な世の中》に収録)

 

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