| いかに21世紀に立ち向かうか |
21 世紀の新しい時代と環境 21 世紀を迎える今日、未来動向を研究する多くの学者達が、様々なことを予測しています。私は、いわゆる未来学はわかりませんし、 21 世紀はまだ来ておらず、何も予言はできません。私は、智慧を使って、慈悲の仏法の観念から、現在ある資料でもって、現在から未来を見るだけです。将来起こりうる現象に対して、どのように対応すべきか、一つ一つ説明していきましょう。 私は預言者でも霊媒師でもないので、各種の予言の正確性については、何とも言えませんが、今までのところ、様々な予言と推測、ある宗教面からの反応と体験、ある学術面からの分析と観察があり、大まかには以下の通りです。 (一)悲観的な予言 1 世界最後の日はもうすぐ 人々に、世界最後の日に備えるべきだと呼びかける宗教もあります。しかし、仏教の立場から、我々のこの世界とこの地球は、まだ長い未来があり、仏法はゆっくりとこの世から姿を消すかもしれませんが、地球はそんなに早く崩壊・壊滅することはありません。 仏教には、「末法(仏の教のみが存在して悟りに入る人がいない時期)」の観念がありますが、その言葉は、釈迦牟尼当時の予言ではないため、私はこの種の説法に決して同意いたしません。 2 人類の品質堕落、続く環境汚染 中国人は、最高の社会環境である、先聖先賢の出現や三皇五帝の時代を信じていますが、この点について、私は何とも言えません。なぜかというと、歴史上、どの時代も良い人・悪い人がおり、また、私達の現在の環境は、昔のように単純ではなく、複雑なことが増え、悪いことが起こるようになったからです。 3 天災地変、環境悪化 地球環境はますます悪くなると考える人もいます。例えば、熱帯雨林は破壊され、各種機械が排出する廃棄も増え続けています。それに、地球温暖化により、多くの氷河、南極・北極の氷帽が少しずつ解け水となり、海洋の水位が上昇し、陸地面積が減少します。しかし、一方、河川と地下水は日に日に干上がり、大地の農業・畜産業の面積は縮小し、砂漠の面積が広がります。 そこで、人類が生存する環境は、既に絶体絶命の危機に直面し、宇宙も大きなブラックホールに向かい、一歩一歩壊滅に向かっていると考える人もいます。 4 第三次世界大戦勃発、地球壊滅もすぐ 第三次世界大戦が勃発すれば、核兵器や化学兵器が使用され、現在人類が持つ文化も建設物も全て破壊され、上古の時代に逆戻りするか、環境汚染も引き起こし、上古の時代の荒れ様よりも更に酷くなると心配する人もいます。 (二)楽観的な予言 1 目覚しい科学の発展で、宇宙旅行も可能に 近い未来に、ロケットでの宇宙旅行や、月、火星、他の星への移住も可能になると考える人もいます。このような楽観的な考えは、とても可愛いと思います。 2 人類の道徳の進歩、刑務所の刑罰廃止、社会秩序が良くなり、夜戸締りをする必要なし 21 世紀になれば、世の中には孔子が魯を治めた三ヶ月のような時代が訪れ、社会秩序が良くなり、夜戸締りをする必要がなくなり、世の中は犯罪がなくなることで刑務所も刑罰もなくなると言う人もいます。全世界で死刑が廃止になるだけでなく、留置所、法律や警察などの保安措置も全て廃止になります。 3 地球は、今後は優れた星となり、世の中から悪人も有毒物質も無くなる ここ数年、アメリカや日本では多くのこの種の報道がされ、私もこれまでに 5 ・ 6 冊のこのような預言書を読んできました。彼らは、宗教体験や超心理学の立場と経験から、いくつかの磁場変化から得られる情報を持っています。 そして、人の品質改善により、地球の磁場も共に改善すると信じています。悪い心を持つ人間も、毒を持つ動植物もなくなり、田畑には農薬も肥料も必要なくなります。加工品も自然食品も、全て豊富な栄養から来ます。しかも、磁場の相通、相同、安定により、人類の気性が激しくなったり、イライラすることもなくなります。物質が豊富に出回り、人類の貪欲さや利己的な考えは減り、争いごとも起こらなくなります。 4 人類の心身健康、平均寿命は 150 歳に 21 世紀になると、人類の心身はますます安定し、健康になります。また、長生きだけでなく、老化も遅くなり、病気もしなくなます。そこで、次第に病院の職員も医療施設も必要なくなります。 5 明るい世界政治、平等な統一、国境が無くなり、軍事も必要なくなる 仏経の中の「北倶蘆洲」は、このような環境です。地球から国境が無くなり、軍事兵器も必要なくなります。入国審査がなくなるので、パスポートも必要なくなります。もしも、地球が国境の無い一つの村だったら、移動は非常に便利で、村落や家庭の体制すら必要なくなります。 (三)悲観、楽観、どちらもあり得る 将来、悲観的な事も楽観的な事も、どちらも起こる可能性があります。仏法の観点では、この世界は、因縁と因果が未来を決定すると言います。人の心の浄化と人品の向上にさえ力を注げば、人類の心の向きは良くなり、心は純良で安定し、楽観的な世界が現れます。さもなければ、空想と幻想だけとなり、人の心の浄化に力を注がないと、悲観的な未来も逃れるのが難しくなります。 21 世紀の社会傾向 (一) 速い生活歩調 25 年前、私は東京で勉強をしていました。日本人の生活の歩調はとても速く忙しく、台北と非常に大きな差を感じました。しかし、現在では、ニューヨーク、台北、世界各地のどの都市においても、全ての人の生活歩調は緊張し、速くなってきたようです。 私は禅修者の立場から、常に皆に、生活態度に対して「急ぐ必要がありますが、せっかちにはならないように」と言っています。仕事、成績、速度、品質等の要求は、出来る限り取り組めばいいのであって、自分にプレッシャーを与えたり、心配することも必要ありません。 私は、以前法鼓山の 4 人の弟子に、 20 句の「共勉語(互いに励ましあう言葉)」を渡しました。その中に、「多忙な人の時間が最も長い」とあります。人によってはこの言葉に同意しない方もいらっしゃるでしょう。しかし、私個人から言わせると、毎日のスケジュールと仕事は非常に忙しくても、十分に時間が管理できるので、私には休む時間もあります。ただし、前提は忙しく仕事をするということで、気持ちがゆったりしていれば、これでやっと「多忙な人の時間が最も長い」となるのです。 (二) 疎遠になる人間関係 現代人の生活環境は、仕事の性質から、農業社会と完全に異なります。人との疎遠感もますます強まり、温かい相助の精神も欠けます。そこで、我々は他人に更に関心を持ち、自分への心配は減らし、できるだけ現代の通信アイテム(電話、ファックス、電報、イーメール、インターネット等)をフルに活用して、人と更に多くとの接触を持つべきです。ですから、「共勉語」にある「利他的にすれば、利己的」という言葉を踏まえ、疎遠になった人間関係を改善する必要があります。 (三) 複雑な社会状況 現代社会の状況は非常に複雑で、誘惑と刺激的な事が多すぎます。道を歩いていても、至る所に素晴らしい物や面白い商品や情報があり、多くて見切れなかったり、色々見すぎて疲れてしまうこともあります。 最近、いくつかの風説雑誌等で、いい印象の数仏教団体を指し、裏のニュース、独占報道として「当て推量」の醜い方法でデマを流し、この仏教団体がどのような反応をするかを待っています。デマを流された団体が抗議すれば、更にニュースのネタになるからです。 事実、実際と逆の言論は気にする必要は無いので、慈悲心を持って彼らを寛容してもよく、智慧を以って処理すれば、煩悩は生まれません。 そこで、我々は「利他的にすれば、利己的」の仕事や責任に専念し、物質生活を質素に節約し、利害得失はあまり考えないようにします。このようにすれば、社会環境が複雑でも、我々にマイナスの影響は生まれなくなります。 他人が貴方をどう言っているかは気にする必要はありません。重要なのは精一杯、自分のすべき事に取り組むと言う事です。「共勉語」の中の「一生懸命第一」が、複雑を簡単に変えてくれます。 (四) 変わりやすい時代の背景 時代の思想の潮流は、激しく変わっていきます。食物の栄養観念から言うと、ある時は、ほうれん草の鉄が最高で、続いて、カロリー、たんぱく質、ビタミン E 、ビタミン C 、またはある種の鉱物質が重要だと言います。しかし、各種の言い分は常に変化し、変化のペースはどんどん短くなり、我々はどうしていいかわからなくなります。 しかし、生命はきわめて限りがあり、我々はどのように、時代の変化についていけばいいのでしょうか?《金剛経》にある「過去の心も不可得、現在の心も不可得、未来の心も不可得なればなり。」の観点から、変化を幻相と見なすべきとわかりますが、我々も変化に合わせて変わる必要はあるのでしょうか?過去はすでに過ぎ去ったことで、未来のことはどう知るのでしょうか?今が一番重要なことで、現在の全ての因縁と時間を捉え、精一杯現在すべきことをすればいいのです。役にたたない古いしきたりをいつまでも固守することでもなく、目的の無い人がどう変わっていいかわからないということでもありません。変わっても変わらなくても、心から喜び、感激と感謝の心で満たされるべきです。 そのため、私は「共勉語」にある「常に心に法喜を」の中の「法」こそ心身調整の方法と観念のために用い、環境からの影響を受けないようにするのです。 (五) 豊富な物質と心の空虚 欲望がとても強くても、何も出来ない人は、心はきっと空虚です。特に、現在は物質がますます豊富になり、生活の問題を心配する必要もなくなりました。そこで、できるだけ自分の資源を運用し、全社会と世界人類のために献上すべきで、これで心は自然に満たされます。そこで、「共勉語」には、「布施する者には福があり、善行をする者には快楽がある」の 2 つの句を載せました。 私個人は、無給の生涯のボランティアです。この仏鼓山という団体は、輸血管のように、必要とする血液を、献血を希望する人から輸血して人を助けます。この輸血管には、いかなる物も残りません。 21 世紀は心身を落ち着かせる道 (一) 宗教の信仰 −− 但し、霊異現象や神格化人物の崇拝に依存するべからず 急速に変化し、非常に入り乱れた社会現象と自然環境に直面する際、確かな宗教を信仰していなければ、現在と過去の因果関係がわからなくなってしまいます。また、現在起こっている事実が理解できず、未来に起こる可能性もしきりに心配します。そこで、社会では、霊異現象と神格化人物の崇拝が起こるのです。 事実、霊異の展開では、人々に三世の因縁や明らかに奇跡的な邪道を解説します。これは、台湾のみならず、世界各地のいつの時代、どの社会においてもこのような人はいて、人の心が不安になり、慰めが必要な時、このような人が現れます。彼らは、いくつかの貴方の知りたい事や実在しないある異象などを告げ、自ら発明した修行方法を教えたり、ある擬似的な科学や偽の哲学、剽窃した仏学などを論じ、貴方に優れた能力があると信じ込ませます。これらは本当なのでしょうか、嘘なのでしょうか? 暴き出されるか、事件が起こる前は、皆はそれを本当の事だと信じています。問題が発覚後、団体は解散し、責任者は告発され、牢屋に入れられ、その時初めて嘘だと気付きます。迷信の宗教現象とはこんな物で、あまりわからない時はそれを本当の事だと信じ、発覚後、それは嘘の事だと気付くのです。神仏の成り代わりを演じ、それが何度か成功すると、その後自分は本当に神の化身であると信じきってしまうのです。 仏教徒の立場から言うと、神異現象や盲目的な崇拝に依存すことはできず、因果を信じなければなりません。因果とは、宇宙の中でのいかなる事の発生で、必ずその原因があります。仏法では、「因果不可思議」と言われます。因と果の関係は、非常に複雑で、我々一般人の智慧では足りず、はっきりと知ることが出来ません。 (二) 哲学に助けを求める −− 但し、問題の討論と指摘だけではいけない 我々は、人生や宇宙の問題に焦点を当て討論したり、社会現象と改善の道をよく研究するなど、思想的・思弁的方法で哲学に助けを求めることができます。しかし、哲学でも徹底した問題の解決は出来ません。哲学者は時代に合わせ、学説を一つ一つ掲げているためです。この問題は解決の必要があるとか、あの問題は考慮の必要があるとか、永遠に古きを退けて新しきを出し、新しい哲学思想が現れ、その結果、人類の根本的な問題は原点から動かないのです。 仏法では、「因縁は不可思議」と言います。我々は因縁の観念から問題を解決しますが、人生、社会、宇宙など、全ての問題において、因縁の信仰心と因縁の観察態度で、「它(それ)と向き合い、它を受け取り、它を処理し、它を手放す」の四つの段階で、哲学機能の不足を補うことができます。 (三) 科学への期待 −− 但し、超心理の解決方法は期待すべからず 現在は科学の発達した時代で、人類に多くの便宜を与えています。しかし、科学は、問題を根本的に解決せず、その場をつくろって一時逃れをしているのであり、物質面の問題の解決でしかありません。現在、精神面にも科学の領域を入れている人もいます。例えば、精神分析や心理分析などで、ひいては、更に深い超心理機能の研究討論も行われています。 しかし、修行の観点に立ち、宗教現象の面から見れば、全て科学を使って人間の問題を分析すると言うのは、無理なことです。そのため、禅修経験と宗教信仰は、すべて本質の内容とその働きがあり、科学では全ては探求できない範囲であり、科学は補足は可能であっても、問題の解決は出来ません。 (四) 文化芸術の提唱 −− 但し、人間の終極の配慮と生死問題は助けられない 我々は積極的に文化芸術の陶冶を提唱すべきですが、これは人々の死亡の問題までは解決はできず、死亡の恐怖を解消することも出来ません。 過去の人達は、正面から死亡の問題に触れることを嫌いましたが、ここ 30 年ほどは、東洋・西洋の社会において、正面からこの重要な人生の課題に向き合いようになり、数々の因応の道を語るようになりました。新しい言葉、「終極の配慮」とは、死を配慮、尊重することで、人々にどのように死と向き合い、解決するかを教えます。 死に際の人に、落ち着き、心の安らぎを与え、その人は、感謝・希望・喜びの心を持ち、この世を去ります。これは、宗教の慰めが必要です。仏教徒の立場から、死に際の人に過去への無限の感恩だけでなく、往生浄土への無比の信念を持たせます。 (五) 教育の提唱 −− 人品は財富より重く、奉献は貯蓄より重く、智慧は技術より重い 教育の提唱はもちろん重要ですが、科学技術の教育だけで、人文教育と宗教教育を怠れば、人類に災難をもたらします。そこで、教育を提唱するのと同時に、最も着眼すべき事は、人品は財よりも重く、奉献は貯蓄よりも重く、智慧は技術よりも重いという点です。 もしも財と富のみを所有し、人品に欠けていれば、自分・他人・社会に対して全てが不幸なことです。貯蓄は自分の利益のためだけでなく、一歩進んで布施や奉献の観念が持てるなら、富や貯蓄を社会や人々に分け与えることが出来、これは最も信頼でき、最も安全な幸福といえます。 それ以外に、身体は何かの技能があり、もちろん生活保障が得られますが、智慧があれば、精神的に安定・健康・成長も得られます。そのため、仏教はこれまで智慧と慈悲の教育を提唱してきました。慈悲があれば包容と奉献ができ、智慧があれば、煩悩が生まれず、他人に悩ませられることもありません。そこで、「共勉語」に「慈悲には敵がおらず、智慧は煩悩を生まない」の 2 句を載せました。 いかに 21 世紀に安家楽業(世帯を持ち、心楽しく働く)できるか? (一) いかに安家(世帯を持つ)するか 1 家族の基礎は、家族互いの、信頼・尊敬・助力 人は互いに、信頼・尊敬・助力すべきで、これは、優れた人間関係を築く基本の道徳です。 互いに信頼するということは、自分の言動に忠実で相手を騙さないことで、他人からも信頼を得ることが出来ます。また、相手を信頼することも、忠実でしかも騙さない人です。時に騙される事を承知でいても、報復の心を持たず、相手に反省の余地を与えます。相手を信じることは、自分を信じることです。 互いに尊敬し合う条件とは、まずは相手を尊重することで、時間が経てば相手も影響を受け、貴方を尊敬するようになります。 互いに助け合う条件は、まずは相手に助けの手を伸ばし、先に相手の利益を考えれば、自分も利益を得ることが出来ます。 2 家庭の意義は、家族の間の思いやりと励まし合い 互いに思いやる原則は、まず相手の立場と状況を理解することです。互いに励まし合う原則は、お互いに正面から励まし賞賛することです。さもなければ、奥さんは家で一人で子供の面倒を見、食事を作り、洗濯をして大変です。なのに、ご主人は、思いやらないだけでなく、奥さんは、何もせずにうまい汁を吸っているとまで思っています。また、奥さんもご主人の仕事の苦労を体得することはできませんし、ご主人を家事も出来ない怠け者だと思ってしまいます。これで夫婦喧嘩が始まり、お互いに愚痴をこぼし、争い合う仲の悪い夫婦となるのです。 3 家族間は、倫理関係の共同体 一部の現代的な家庭では、夫婦の財産は、夫と妻で明確に分けています。あるカップルは、二人とも良い給料をもらい、家庭内の全ての物は各自で買い、家賃も折半し、料理担当も分担制にし、彼らはこれで公平的で合理的だと言っていました。しかし私は、このような夫婦関係は、どれ位持つのかと疑ってしまいました。 家庭とは一つの共同体であり、もしも互いに尊重・譲歩・同情しなければ、倫理関係が、合理と公平を求めるだけの関係となってしまいます。このような家庭や婚姻がまだ続いているとしたら、それはまれなケースだと言えます! 4 互いに無い物を補い合い、互いの面倒が見られる生命共同体こそ大家族 全てにおいて、互いに助け合い、互いに補い合える以心伝心の関係が必要で、お互いの不足を補うのが、苦楽を共にする家族の繋がりといえます。 ある人が私にこう聞きました。「聖厳法師、貴方は他人の世話ばかりしていますが、反対に誰が法師の世話をしているのでしょう?」 私はこう答えました。「世界上には、多くの人が他人の世話ばかりし、多くの人が、反対に世話ばかりされています。これこそ、公平合理じゃないですか!例えば私の職業と身分から言うと、私はいかに他人を助け、自分を成長させるかということを学んでいますが、私は他人に面倒を見てもらおうとは思っていません。もしも私が誰かの手助けが必要で、相手も助ける気持ちがあるのなら、相手が誰であれ私は感謝します!」 もしも世の中に仏法の助けが必要な人がいなくなれば、和尚の私は、何もすることがなくなってしまいます。もしも皆が善意の者の助けを拒否するのであれば、すべての菩薩が福徳・智慧の修行や成仏・資糧の因縁を積み重ねていないのではないでしょうか?家庭でも社会でも、補い合い、助け合い、生命共同体の場所と環境は、全て家庭だと言えます。最も小さい家庭とは二人の共同生活体であり、これが次第に大きくなり、一つの社会団体となり、一つの国家民族となり、更には全ての人類の共存共栄のために、お互いに利益を与えます。これは、全て安家の仕事と言ってもいいでしょう。 (二) いかに楽業(心楽しく働く)するか 1 一心に修行し、福を惜しみ(贅沢をしない)福を培う 全ての人類の仕事と事業、また、身口意の一切の行為は、全て業と言います。楽業とは、成功と失敗、貧賎、財産や地位と関係なく、全て自分の本分を尽くし、努力の仕事を言います。成功しても自慢せず、失敗しても落胆せず、貧しければ骨身を惜しまず、身分が低ければ向上する努力をして、富があれば節約して、地位が高ければ勤勉に働きます。これが、敬業楽群(職業道徳を陶冶し、熱心に仕事に取り組む)の基本定義と原則です。このようになれば、「福を知り、福を惜しみ、福を培い、福を植える」であり、人々に福を与えることができます。 2 全体の衆生を安業の目的とする しかし、楽業の範囲は大きいとも小さいとも言えます。最小の事業は、個人の挙手投足、一言半句、起心動念です。次に大きな事業は、個人が従事しているある専門の仕事です。大きな事業とは、社会の大業、国家の大業、人類世界の大業、そして、全ての衆生の生死の大業です。 仏教徒として、最重要の仕事は、全ての衆生の生死の大業に対して責任を持ち、皆に生死間の大問題の解決を促すことです。生きている時は、生命を大切にし、生存に感激し、生活に感謝し、我々の限りあるこの生命の旅程をうまく運用すべきです。死亡する時は、心に感謝の気持ちを込め、喜悦を充満させ、恐れ、憂い、後悔、恨みの気持ちは持たず、悲願心で満たし、光り輝く前途を迎えます。 3 楽業は必ず安業 −− 身口意の三業浄化 安業とは、安心して行える仕事、安定した職業の事で、長期間同じ仕事をする、昇進を求めない、転業の禁止とは異なります。 楽業の業とは、身口意の三業による楽を指します。安定かつ、自分と他人に利益を与える仕事につくことです。そのため、一切の行為に責任を負う必要があります。 普通の人は、他人に損を与えることは無責任だとわかりますが、仏教徒は更に一歩進み、他人に利益を与えないことも全て、無責任とします。普通の人は、ただ体と言葉の行為に責任があるということは知っていますが、仏教徒は、自分の心理行為には更に責任を負うべきです。そこで、体の行為及び言葉の行為も、よい行いや悪い行いも、すべて意業の心の動きによって起きるため、常に慙愧心をもって修行や懺悔を行います。 そのため、楽業はまず安業で、安業はまず心理の行為を慎むべきです。それでやっと、体と言葉の両方の行為に対して責任が負えるようになり、そうすれば楽しくなります。 4 安定した調和の中で、現在の今日を捉え、新しい明日に向けて出発する 仏法では、因果と因縁を重視します。因には必ず果があり、果には必ず因があり、因果の関係は絶対的な存在です。ある因が果に結びつかないと、因縁がまだ成熟していないため、効果は直ちに現れません。例えば、今日した仕事は、今日給料がもらえるとも限りませんし、これと同じです。もしも、今世に何かの因を植えた事を忘れているなら、大きな災いや大きな福があったとしても、その出来事はいつの過去の悪因か善因かもわかりません。そのため、我々は、往来に対して、恨んだり、後悔したり、驕り高ぶったり、悲観的にならず、今実行することが最も重要です。安定して調和の取れた現在に基礎を置き、今日を捉え、新鮮な明日に向かって出発することが、楽業の基本態度です。 5 積極的に行う際、常に足取りを安定させ、次第に安定した立場に立つ いわゆる「己を知り相手を知る、百戦百勝」、勝利は皆が希望するものです。もしも、どうしても出来ないとか、しなければならないとかはっきりとわかっているなら、成功は予想外で、失敗は予想内です。失敗には大小と明暗があり、失敗後に永遠に立ち上がれないというのが大失敗で、何度負けても毎回起き上がり、波乱万丈というのは小さな失敗です。明らかに損をするというのは、智慧型の小さな失敗で、何度も損をしても己を知らず、守りを知らないというのが、無知型の大失敗です。 勝敗は戦の常ですが、もし連戦連敗でどう負けたかを知らなければ、それでも安業楽業と言えますか?そこで、絶対に「人を知る、己を知る、進退を知る」でないといけません。足取りを安定させ、安定した立場に立ち、失敗したら努力して、成功したら更に努力します。これが安業楽業の原則です。 どのように 21 世紀の人類環境を保護するか? 現代社会の変遷に対応し、皆が安家楽業となるよう、法鼓山は積極的に四種の環境保護運動(心の環境保護、生活の環境保護、礼儀の環境保護、自然の環境保護)を提唱しています。 (一) 心の環境保護 いわゆる心の環境保護は、心理の健康、心理の衛生、心理の建設等と非常に近いものです。釈迦牟尼仏はこの世に、膨大な聖典を残してくださいました。その中に記録されている仏法は、全てが、人品の向上、心の浄化、人の環境の改善のためであり、これこそ心の環境保護の内容です。 《維摩経》には、「随其心浄、則仏土浄(その心浄きに随ひてすなはち仏土浄し)」とあります。心は、体と言葉の行為を導き、全ての人の行為は、全体の環境を影響するということです。そのため、法鼓山の具体的な仕事は、観念の上において、皆に「欲を少なく満足を知る、恩を知り恩に報いる」ことを導いています。方法の上で、皆に念仏を唱え、懺悔し、禅修等の項目に取り組み、心理層面の浄化をするよう勧めています。 心がきれいなら、今の環境に対して、安定と安全を感じるはずです。心がきれいでなければ、たとえ仏の国が目の前にあったとしても、その環境は不安で混乱したものとなります。 ある時、あるセキュリティー会社の警備員に、彼らの車に乗るように言われました。彼らは私の両側に一人ずつ座り、拳銃を所持していましたが、それは私を守るためだと言っていました。 私はこう言いました。「元々私は何も持っておらず、それで安全に感じますが、貴方達がここにいると、反対に危険に感じます!」なぜなら、万一拳銃を撃つとか、用心棒を二人も抱えているため、私がお金持ちだと誤解され、結果その期待に反して、私は本当にお金がなかったら、相手を反対に失望させ、相手に悪いじゃないですか。そのため、心に安全感がなかったら、安全を得ることは出来ませんし、安全問題について悩むのです。安心している人、また貴方のいるこの世界は、佛国浄土と言えます。 (二) 生活の環境保護 生活が清潔・素朴で節約をすれば、自然の資源を無駄にすることはありませんし、安寧、平静、清浄は、環境汚染には結びつかず、人類の生活環境の品質は改善されます。 現在の我々の環境は、空気汚染、土地汚染、水資源汚染、騒音公害など、至るところが、汚れ、乱れ、濁り、穏やかでない状態で溢れ、皆に安全感と安定心を失わせています。そのため、法鼓山では積極的に生活環境を推進しています。 例えば、我々は、古いものの再使用、児童玩具と書籍の交換、ゴミ分類、資源回収を唱え、必要な物は使えなくなるまで使います。必要でない物は出来るだけ少なく買うか買わず、また、環境保護の食器類と買い物袋を勧めます。また、オフィスで使う紙は少なくとも二回は使い、その後は回収して再生紙として利用します。 (三)儀礼の環境保護 仏教では礼儀作法と振る舞いを特に重視します。現在、法鼓山が提唱する礼儀の環境保護の内容は以下の通りです。個人の作法として、人に接する時は合掌し、一言一行で、相手を尊敬します。「菩薩」、「南無阿弥陀仏」、「ありがとう」などを使い、下品・低俗・流俗な言葉は避けます。社会団体の方面として、冠婚葬祭では厳かに提唱します。また、《 1994 年儀礼環境保護実録》を出版し、中にはここ数年続けられている仏化の合同冠婚葬祭に関する内容を紹介しています。同時に、他にも、《仏化家族手帳》、《仏化葬祭手帳》、《喪儀の儀式と助念手帳》、《儀礼の環境保護手帳》と《仏化婚姻と仏化家族》等の小冊子を出版しました。 その中の仏化婚礼は、中国人の冠婚葬祭の習慣に焦点を当てています。これらは、次第に騒がしく、無駄に派手に行われ、見栄だけを気にし、尊厳を顧みず、礼儀の機能を失い、品格も低俗となってきています。そこで、昔と現代世界の文明のつながりが切れ、国際メディアにはおかしな風俗だと報道されています。そのため、我々は、礼儀の環境保護の推進に全力を尽くし、今では既にいい反応を得ています。 ( 4 )自然の環境保護 ブッダは、かつて我々にこう伝えました。我々の心身世界は、全て仏法を修行する道具と道場です。我々は自然環境に対して、それを自分の体の一部分として扱い、自分の家・寝床・席として扱わなければなりません。そのため、自然環境の保護の観念は、動物を愛護するだけでなく、植物を含む一切の生物の生存環境や、空中・地面から地価の一切の資源まで保護する必要があるのです。 法鼓山の共通認識から、新しい世紀に向けて 法鼓山の理念 −− 人の品質を向上、世の中の浄土を建設。 法鼓山の精神 −− 我々自身を献上、社会の大衆を成就。 法鼓山の方針 −− ブッダの本心に戻り、世界の浄化を推進。 法鼓山の方法 −− 全面的な教育を提唱、全体に配慮。 法鼓山が推進する全面的な教育は、結婚・胎教・幼児教育・青少年教育・宗教の人格教育・年長者の配慮教育・臨終配慮の生死教育などがあります。人類に配慮し、人品を向上させ、全ての人々を心の浄土へ導くのが目的です。 皆さん、自分を軽蔑したりしないでください。一つの念頭と慈悲、智慧相応さえ持てば、生活は自分の心の浄土の中にあります。このような精神で、我々の家族と全面的な生活環境を影響させれば、世の中の浄土が普及し、着実に現れてきます。法鼓山は、心の浄化、人品の向上、環境の改善、心の安定、社会の安定の達成を目標としています。そうすれば、調和の取れた人生、楽しい社会、平和な世界が完成するのです。我々が共に努力・実践・推進することで、大きな信心と大きな願心ができ、新しい 21 世紀を迎えることができます。 ( 1996 年 11 月 9 日、仏鼓山ニュージャージー州連絡所、姚世庄居士が整理、内容を編集。本文は、<平安な世の中>に収録)
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